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屋嘉節

  その頃、彼女の長男は東京郊外の山中に広いキャンパスを持つ私立大学に通っていた。その彼がぼくに沖縄旅行を促したのは、それより四、五年前の1956年の冬。学年が一つずれていたので当初は顔見知り程度でしかなかったが、その旅行を契機に彼とぼくのつきあいは急速に深まっていった。母親に似て、やはり額の大きな、目の輝いていた青年であった。
 ---本土の若者たちに沖縄の実情を知ってもらおう!
 二週間の沖縄親善旅行から帰ったぼくらは学校のなかに「沖縄研究会」をつくり、『見てきた沖縄』と題する10ページほどのガリ版刷りの小冊子を月々発行、全国の高校の生徒会宛てに送りつづけた。当初、学校の寮に入っていた彼は、それからまもなくして東京・世田谷のぼくの家の隣家に下宿してきた。そして双方の屋敷を仕切る生け垣に、背をかがめればどうにか通れるほどの穴をあけ、そこを二人だけの秘密の通路にした。
 彼もまた、ぼくの母をお母さんと呼び、親子7人の家族のなかに南国のさわやかな風を送り込んでくれた。
 沖縄戦の鉄の暴風がふきすさぶなかで、家族が散り散りになるほどの体験をしていながら、彼は自らすすんで戦争を語ることはなく、いつもことさら明るく振る舞った。ぼく自身の戦争体験といえば、屋敷の一郭に掘られた防空壕のなかから、時折上空で展開される戦闘機の空中戦を親の目を盗んで楽しんだり、サーチライトの明かりで夜空に浮かび上がったB29爆撃機の編隊から投下される焼夷弾(しょういだん)が、まるで花火のように美しく開花するのを、半ば恐ろしげに眺めたりしたぐらいであった。そんなぼくに戦争のほんとうの怖さなどわかろうはずもなかったが、戦場からやってきた彼が語りたかったのは戦争の恐ろしさではなく、むしろ戦争が人間にもたらす哀しさであったように思う。
 学校に人影が絶えた放課後にはじまるぼくらの小冊子づくりは、時に深夜に及んだ。暗い蛍光灯の下で黙々とガリ版を切った。彼は、沖縄の文化や歴史、言語、芸能などについて書くことが多かった。刷り上げても郵便代が工面できるあてもないのに、それでも一途につづける... 、そのようなことの繰り返しであった。
 ある夜、封筒の宛て名書きをする彼の口から耳慣れない沖縄民謡の調べが流れ出た。

♪懐かしや沖縄 戦場になやい 世間御万人ぬ 袖ゆ濡らち
 哀り屋嘉村ぬ 闇ぬ夜ぬガラシ 親居らん我身ぬ 泣かん居ちゅみ
 無蔵や石川村 茅葺ちぬ長屋 我んや屋嘉村ぬ 砂地まくら

 「それは《屋嘉節》といって、終戦直後に出来たうたなんですよ」
 尋ねるぼくに、彼は言った。
 米国が沖縄北部の屋嘉村につくった捕虜収容所のテント小屋のなかで、誰の口からともなく歌われはじめた民謡だと言う。戦火のなかで生き別れ、死に別れていった親兄弟や愛する人への思いを切々と歌いあげ、甘世(あまゆ=平和な世の中)を願う庶民の心情を吐露したうたであった。ゆったりとした節まわしは、まるで地べたにへたり込んだ人間のため息のようで、戦火に焼き尽くされた島の時空を連想させた。ぼくが教えを請うと、彼は幾度となく反復して歌詞と旋律を教えてくれた。
 あの日からもう40年の歳月が過ぎ去ったが、ぼくの脳裏にはつい昨日のことのように、あの残像があざやかだ。青年のままの彼がいまも生きつづけているのである。
 "義足のおんな"もまた、ヤマトからやってきた「もう一人の息子」であるぼくに、よく沖縄戦の話を聞かせてくれた。戦争を知らず、むしろ戦争を楽しんだ体験しか持たないぼくがそれをどれだけ理解できたのか、いまなお心もとないのだが、かつてウジ虫のわいた傷口を野にさらしながら弾雨の下を地を這って逃げたという彼女がぼくの前にさらした断ち切られた白い大腿部は、何よりも戦争のおぞましさと、一人の気丈なおんなの胸の内を語っていたことだけは確かである。
 母子は沖縄が日本に復帰してまもなく、まるで示し合わせたかのようにしてこの世を去っていった。57歳と38歳。母の名は金城ツル。その息子の哲夫は、ツルがまだ19歳の時に生をさずかったが、2人は、親子というよりは友達同士といったほうが似合う母子であった。
 その哲夫は、大学を出たあとテレビのシナリオ作家となり、毎週日曜の夕方、全国の子供たちをテレビの前に釘付けにした〈ウルトラマン〉シリーズのメインのシナリオ作家として名をなした。そして、ブラウン管のなかに〈チブル星人〉とか〈ジラース〉〈ヤナカーギー〉などという名の怪獣や異星人を登場させた。チブルは頭。ジラー(ス)は次郎、ヤナカーギーはブスの沖縄の方言だが、その語呂のおもしろさと異質さも手伝って日本人には新鮮に映り、受けた。
 しかし、金城哲夫のねらいは単に語呂のおもしろさではなく、そうした名を持つ怪物たちに"沖縄のこころ"を仮託、地球人が抱え込んだ〈正〉と〈負〉を人びとにさり気なく提示することにあった。
 戦争のおろかさや、核や毒ガス兵器と同居するオキナワ.....。

 毎年6月が来るとツルと哲夫を想い出すのは、この月が "戦世"(いくさゆ)の月であるからに違いない。

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