盲信ということについて考えてみる。この言葉がイメージする結果の何とも言いようのない虚しさについてである。物事をただ「やみくもに信じ」たり、「むやみやたらに信じる」などということはよいことではないが、そんなことがつい50年ほど前、日本中でまかり通った。
信じてよいものと、信じてはならないものをどう見極めるか。そして、信じてよい相手か否かをどう分別するかが大事なのに、物事を無批判に信じ込んで何とも思わなかったのである。正しい価値観と科学的な歴史観に裏打ちされた物差しを持たなかったことが、自分ばかりか他人をも不幸や不利益に落とし込んだ。
天皇への妄信に明け暮れ、「一億火の玉」を叫んで国民そろって同方向を目指したあの時代、沖縄という小さなシマ社会のなかで起きた住民の集団「自決」は、妄信がもたらした究極の悲劇と言ってよいであろう。