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一千人の〈生〉

 チビチリガマの集団「自決」は本当に避けられなかったのか。その答えは、このガマと数百メートルと離れていないところにあるもう一つのガマが出していた。シムクガマと呼ばれるその洞穴では「自決」は起きなかったのだ。
 シムクガマには米軍上陸を前に約一千人の住民が避難していた。米軍が間近に迫っていることでガマの中はやはりパニックに陥り、「自決」を主張する者も現れたが、それを押し止めたのがハワイ移民の経験のある比嘉平三と比嘉平治いう男性であった。「アメリカーは民間人まで殺しはしない」
 二人は周囲を制すると自ら先頭に立ってガマを出た。そしてハワイ時代に身につけた英語で米軍と交渉、ガマの中の一千人の投降を実現させた。「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓に真っ向から反する選択である。
 二つのガマの明暗を分けたのは情報であった。ガマのなかではともに海外移民体験者がキーマンとなった。あの時代"外国帰り"は地域では有力者であったから。
 かくして、チビチリガマではサイパン帰り、シムクガマではハワイ帰りが"情報の発信源"となった。「米軍に投降したら殺される」と主張する"サイパング組"は、中国戦線帰りの口にする"米軍性悪説"を信じた。殺されないと主張した"ハワイ帰り"の論拠となったのは、ハワイでの生活をとおして知った"素顔のアメリカ人"であった。この二様の体験が、ガマのなかの老人や女性や子供の運命を分けた。

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