沖縄戦を生き延びた人たちと話をしていると、よくこんな言葉を耳にすることがある。「わたしらは艦砲ぬ喰ぇー残さーですよ。カンポーのね」 直訳すると「自分たちは艦砲弾の食べ残し」、つまり敵の艦砲射撃による猛攻撃からかろうじて生き残った者という意味だ。かつて、容赦なくこの人たちの上に降りそそいだ銃砲弾。"地獄の戦場"からよくぞ這い上がってこれたという感慨である。だが、そうした人々の感情のなかに、まるで死にそびれてしまったことを嘆くかのような自虐的な響きをぼくは聞くことがある。生き残ってしまったことに後ろめたさを抱いているのである。
助けを求める瀕死の人間に背を向けた者、親や子をも置き去りにして逃げてきた者。ガマのなかで日本兵に命じられるままに泣く赤子の首を絞めた者.....。戦争は平和時には想像できないような選択を一人ひとりの人間に迫った。
しかし、戦火が止んだ途端、そのような言動を正当化していた後ろ楯は聖戦思想とともに雲散霧消し、価値観は180度変わった。正しいと思い込んでいたことがことごとく否定される。そのような変化に自分を合わせようとすればするほど、自虐的にならざるをえなかったであろう。彼らは自分の過去の行為を肯定したり否定したりしながら、その場その場をつじつまを合わせながら生きているのである。
沖縄戦における住民の死者は4人に1人の割合だから、死者の数は生者よりは間違いなく少ないのだが、死者への思いの深さと大きさは、4対1という比較の枠内にはとても納まりきれるものではない。死者たちを弔う小屋を無人の屋敷跡に建てた理由を、単に死者への贖罪意識に収斂してしまうのはあまりにも単純すぎるが、それにつけても<艦砲弾の喰い残し>とは何と人間臭い発想だろう。ひとたび砲身を離れた弾丸が人を選ぶことはありえないのだが、彼らは自分を喰い残してくれた巨大な鉄のかたまりに魂を見たのだ。極限状況に追い込まれた者のみが共有できる心理なのだろうか。
<写真>島尻の集落には一家全滅家族の屋敷跡が目立つ(糸満市国吉)
*全滅家族の屋敷跡「パパイアの涙」 終わり