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九月四日の誓い少女の涙と"大人の政治"

どこへいってしまったの
小さなわたしの願い 忘れられたあの痛み
          (どこへ どこへ)
どこへいってしまったの
悲しい村の祈り 忘れられたあの痛み

 こうしてはじまるこのうたは《九月四日の誓い》と題したうた〔森口豁作詞、海勢頭豊作曲〕の第一節。多分に情緒的な歌詞で気後れもするが、人前に名乗り出て言いたいことも自由に言えない一人の少女の気持ちをおもんばかって書いた。
 少女とは、軍事基地の非情と不条理を世につきつけた一人の小学生のこと。米兵による暴行事件の被害者の多くが泣き寝入りするなかで、彼女が口にした「こんなことは私で最後にして」の訴えは、基地という暴力装置の存在に目をつぶっていた平均的大人たちを我に返らせた。ヤマトの人たちは沖縄ほど眼中になく、沖縄といえば、島中が官製の商業的な祭りに現つをぬかす95年秋のことであった。 

 沖縄県は、国による軍用地の継続使用に反対して、法的なたたかいを国にいどみ、沖縄問題は日本の行政・司法・立法の三権を巻き込んだ前例のない鳴動期に入った。日米安保は根元から軋みはじめ、政府も手をこまねいておれなくなった。

 そんな熱く燃えた島は、その3年後の県知事選(1998年11月)を経て休眠状態に入ったが、経済的安定を大義名分とした大人たちの怠慢をあの少女がどんな気持ちで見ているかと思うと、ぼくは気が滅入る。問われていたのは大人社会なのに、当の大人たちの頭のなかからは、わずか3年そこそこで〈少女〉の存在がすっぽりと抜け落ちてしまったことがやりきれない。

 やりきれないといえば、大田知事が海上基地の建設にノーと言って以来、政府が沖縄に対してみせた政治的手法は情けなくなるほど下劣なものであった。

 この国の政治家はいつからこんなに品のない政治をするようになってしまったのだろう。雇用の拡大や健全な産業を興すため、政府と県のトップレベルの協議の場として設置した沖縄政策協議会の開催を、1年近くも全面的にストップさせて県政を締め上げ、県民のあいだに閉塞感をつのらせる。知事と首相の会談を要請するため上京した副知事を門前払いしたうえ、各大臣にまで「副知事に応接するな」と官邸が指示、大田県政の孤立化を印象づける。あげくの果ては「退陣する橋本首相にあいさつにこなかったのは、政治家としての人の道に反する」(野中官房長官)と大田知事を名指しで非難するありさまだ。

 国の方針に従わなかったことを理由に、これほど陰険な手法で一地方自治体の長を政府ぐるみでいじめぬいた例をぼくは知らない。しかも、政府は知事の海上基地受け入れ拒否が固いと知るや次期県知事選での大田追い落としに照準を定め、すでに合意をみていた施策の7割を凍結させる手段に出た。

ベウラ共和国と沖縄

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