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ベウラ共和国と沖縄

 政府の沖縄対策をみていてぼくが思い起こすのは、西大平洋の小国ベウラ共和国(旧パラオ諸島)に対する大国アメリカの政治手法である。「動物園理論(Zoo Theory)」というそれは、どんな動物でも檻に囲って餌をやりつづければ間違いなく従順になることにヒントを得た政治手法だ。ベウラ諸島に軍事基地をつくりたいアメリカは連合信託統治に名を借りて、戦後延々と必要最小限の餌をこの地域の人々に与えつづけた。

 タロイモやタピオカなどの芋類と魚や果物を主食とする人口1万5千人の島国に、コカコーラやビーフ缶詰を持ち込んで消費社会化をあおり、傀儡(かいらい)政府をつくって公務員を増やし、選挙が近づくと親米派を当選させるため学校の教師にまでレイオフをかけて「米国のありがた味」を再認識させるやりかたで、アメリカはこの国を操った。その結果、独立に向けて81年に制定された世界初の非核憲法は、アメリカの仕掛けた7度に及ぶ住民投票で骨抜きになった。人びとは非軍事より経済振興を選択したのである。 

 日本政府が沖縄にやっていることと、なんと似ていることだろう。基地を容認するならこれだけのことをすると、「地域振興メニュー」をちらつかせ、反応が思わしくないとわかるとさっさと引っ込める。そのあげくの知事追い落としである。そして意中の人が当選すると、掌を返したようにかたく締め切っていた水道の蛇口をひらく.....。

 これが口をひらけば「沖縄の痛みを共有しなければならない」「沖縄の方々のご苦労に応えねばならない」「過大な基地負担を担ってきた沖縄の人びとにどう償うか」と、かつて橋本首相自ら語っていた国政の素顔である。沖縄をカネの力で屈伏させることに汲々(きゅうきゅう)とするばかりで、広大な米軍基地を減らす努力はしないのである。

 少女が傷ついた1995年、沖縄問題が全国的な盛り上がりを見せた背景には、ほかにもいくつかの条件が揃っていた。ちょうど戦後50年目にあたっていて、「戦後日本」の問い直し機運が全国的に高まっていたこと、ながくつづいた東西の冷戦の終結で日米安保の存在そのものに疑問が生じていたこと、そして軍事基地のはきだめにされつづけた沖縄に、「平和こそ最大の福祉」と主張し、"基地なき島"へのプログラムを着実に進めようとする大田昌秀という知事が存在していたことである。

 こうした動きは日本にとって決してマイナスではなかったはずだ。だが、この国には沖縄が指し示す理想や哲学を掬いあげることのできる秀でた感性を持った政治家がいなかった。永田町は旧態依然の権力闘争に明け暮れ、あげくのはては、かつて安保条約破棄の最先端に立って旗を振った社会党(現社民党)までが総選挙によって国民から忌避された保守党と手を組み、こともあろうに「安保堅持」を標榜(ひょうぼう)するパラドックを演じるありさまであった。東西冷戦が終わったというのにである(ちなみに、軍用地の継続使用に反対した大田知事を"職務怠慢"を理由に告訴したのは、時の首相で社会党委員長の村山富市であった)。

 人が3人集まればそこに政治が生まれる、と昔からいわれることだが、この国は政治家が3人寄れば烏合の衆と化し、暴走する。いたいけな少女を手込めにしたのが3人の米兵であったことにぼくは途方もなく絶望したものだが、人間は本来、3人いればそのなかの1人ぐらいは理性をはたらかせるものだ。

 だが、そうはならなかった。軍隊の持つ構造的な負の表れである。数ある大臣のなかで誰一人として21世紀の国際社会と日本のあり方について展望を示す者がいないことも、この国の先行きを暗澹(あんたん)たるものにしている。

 歌詞こそ情緒的だが、《九月四日の誓い》に海勢頭がつけたメロディーは背筋が凍りつくほどに鋭角的である。その旋律と歌詞を、ぜひ胸のなかに刻み込んで欲しい。

 沖縄の基地問題をどう決着させるか。それは、一にも二にもあの少女が納得できるようなスジのとおったものでなくてはならない___。
 これは決して譲ることのできないぼくの信念である。

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