沖縄の人たちが歩んできた<近い昔>と今を、もしひとことで言えといわれたら、ぼくはためらいなくこう話す。
<大>とはヤマトであり、<小>はもちろん沖縄である。この図式は、沖縄の近・現代史の節目節目で、あたかも浜辺に寄せ返す波のように止むことはなかったが、とりわけ、それが明瞭に浮かび上がったのがここ4、5年の日本と沖縄の関係だ。
一人の少女の身にふりかかった痛ましい事件をきっかけに、「もうこれ以上がまんはできない」と、軍事基地の整理・縮小を"島ぐるみ"で求めた沖縄。その沖縄への政府の回答は「沖縄の方々の多年のご苦労に報いたい」などと甘言を並べ立てながら、結局は、国の基地政策には指一本触れさせまいとする、かたくななまでの姿勢であった。
-----私たちは戦後このかた50年間も国に協力してきた。今度は日本が沖縄に応える番だ。
8万5千人を集めて開かれた95年秋の県民総決起大会の壇上でこう叫んだのは、当時の県知事・大田昌秀であったが、国は聞く耳をもたなかった。戦後半世紀、堪えに堪えた末の、切羽詰まった声さえも押しつぶしてしまったのである。
-----ヤマトンチュは口ざわりのよいことばかり言うが、つまるところ彼らの腹のなかにあるのは、沖縄に「泣け」ということではないのか。
沖縄の人たちがそう思うのも無理はない。地上戦にはじまる米軍統治から、軍事基地のはけだめにされつづける今日まで、この島が味わった<小の虫>の悲哀は枚挙にいとまがない。これが、仮に沖縄ではなく他府県であったなら、こんなにながいあいだ放置されていただろうか。こう思うウチナーンチュの臭覚は的をえている。
もし、この国の指導者と大多数の国民が、ほんのひとかけらほどの良心を持ち合わせていたならば、沖縄の姿は変わっていたはずだし、変わるはずだとぼくは常々思う。この島が抱え込まされたさまざまな問題を正視し、彼らが負う痛みと苦しみを一つひとつ取り除く作業をはじめること、それが何より必要なのである。
そのためにまず何をすべきか。ぼくはここでも何ためらうことなく言う。
-----もう<沖縄>に目をつぶりつづけるのはよそう。いつまでも沖縄の人たちに甘えるのはやめようではないか、と。
国と国との好ましい関係は、軍事ではなく、相互間の友好でしかつくれない。安保条約至上主義では人類は決してしあわせになれない。そう考えるならば、沖縄が突きつけている問題が、単にローカルの問題ではなく、日本の進路、ひいてはアジア諸国民の生き方にかかわることだということが理解できるはずだ。
日本は<小の虫>を犠牲にしてまで生きるに値する国か、などと<小の虫>からいわれるような国に日本をしてはならない。これはなにも<沖縄>だけに限ったことではない。地方にのみ押しつけられつづける原子力発電所の立地や、障害者問題、そして無権利状態においたままの在日朝鮮人の問題などでもいえることだ。この国から差別をなくし、誰もが生きることによろこびを感じられるような国にしていくために、お互い、一日一日を大切に生きていきたいと思う。
この国をこんなに醜い国にしてしまったのは大人たちだが、次代を担う人たちには、この国の過去と現在を負の教材、つまり反面教師として、なんとしてもプラスに変えてほしいと願っている。