2004年11月17(水)

沖縄が遠い

 6時起床。窓を開け部屋の空気を入れ換える。いつものことだが、再び布団の上に横になり朝刊を開く。沖縄ではきのうから地元住民らの反対を押し切って辺野古の〈海殺し〉が始まっているというのに、その記事が見あたらない。ヤマトにいると〈沖縄〉はかくも遠い。情報が全くといってよいほどない。

 海上基地建設に向けて、国は今年度中に辺野古沖の珊瑚礁域63カ所で海底を掘削、地盤の強度を調べる計画だ。16日はそのための足場の設置作業のためクレーン船を出した。穴は63カ所にそれぞれ4つあけるので、総数は250。これだけでもサンゴ礁はめちゃくちゃだ。大変な自然破壊。こんなひどいことを傍観していていいはずはない。マスコミには国がいったん決めたことには意義を挟まない、といった社是でもあるのだろうか、この沈黙はいったい何なんだろう。

 あった、あった。第三社会面(朝日新聞)にようやくみつけた。「辺野古沖へ作業船出発 普天間代替施設」の見出しのべた記事(一段扱い)だ。わずか17行の記事。その後半にこうある。
 「(那覇防衛施設局は)大型作業船を掘削予定海域に向けて出港させた。施設局によると、波が高かったため、高さ数十メートルの海上やぐらの組立準備作業は見送られた。17日以降、準備作業を行ったうえで、辺野古沖に設置する予定」。

 なんと冷え冷えした記事だろう。記者がこれを書いた日(16日)の沖縄タイムスの朝刊社会面は、紙面の半分以上を使って反対住民の声や環境アセスの問題点などをくわしく伝えている。この落差をどうみたらよいのだろう。中央紙の記事からは、〈基地を押しつる側の痛み〉も、〈押しつけられる側の痛み〉もまったく感じられない。

 この秋、その基地問題について書かれた琉球新報の社説(10月3日付け)は出色であった。基地の他府県への移転を切々と訴える、苦渋に満ちた声は涙なくして読むことができなかった。その一部を抜粋して書き留めておく。

 「(基地が存在することによる)苦しみが他の地域で同様に負わされようとすることに心も痛む。われわれに刺さっていた棘が抜かれても、やわらいだ痛みを素直に喜べるものではない。同じ棘が、他の人に刺さることへの心の痛みの方が一層大きい。
 それが分かっていてもわれわれは、その方向を一定程度支援しなければならなくなってきた。
 かつてわれわれは、自らの痛みを我慢してでも、他の地域に痛みを移してほしいとは言わなかった。だが、もう限界だ。これ以上苦痛には耐えられない。」
「われわれにとって悲しいのは、(本土の人々に)この痛みへの理解が薄れていることなのだ。もはや国民の大多数が日米安保条約を支持している。その支持する意味が分かるのなら、『応分の負担』ということも理解できるのではないか。安保条約が国の存亡にかかわるというのであれば、受け入れに地域エゴが入る余地はないはずだ」

 この社説は8月に起きた米軍ヘリ墜落事件とその後の動きを受けて書かれた。沖縄にある軍事基地を他府県に移せ、との主張を新聞社が社説に掲げることはこれまではタブーだった。沖縄住民の忍耐がもはや極限状況にあることをこの社説は物語っている。

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