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2005年9月21日(水)

九月の記憶


拷問台 (2002年9月、中国・旅順監獄で)

 9月21日(水) 昨日は亡き母の、そして今日は僕の誕生日。一日違いが幸いして、幼いときから誕生祝いはいつも母と一緒だった。敗戦直後のもののない時代でも、家の中は優しい母を慕って楽しさと喜びが花ひらいた。
 70も近くなると年が増えるのは決して嬉しくはないが、反面、亡き親を思いだすことが多くなるのはなぜだろうか。
 明治生まれの母・貞子は、若い頃上海で交友した魯迅や内山完造らのことをよく僕ら姉弟に話してくれた。なんでも上海市内の内山書店で定期的に読書会のようなものを開いていたようだが、僕はといえば20歳すぎに親元を離れ沖縄に移り住むことになったため、それ以上の話しを聞く機会もなく、いまとなってはなんとも悔やまれてならない。

 その魯迅の晩年の寓居や旧内山書店を、沖縄大学教員の又吉盛清さんの案内で訪ねた。3年前のちょうど今日、9月21日だった。
 内山書店は改築され商工銀行に変わっていて、往時を偲ぶものは外壁にはめ込まれたレプリカ一枚でしかなかったが、魯迅が晩年住んでいたアパートはそのまま保存され、しばし歴史の匂いに浸れて感慨深かった。
 母が上海に逗留したのは1930年代前期。その後日本に引き揚げて結婚、37年、僕を産む。奇しくも日本軍が盧溝橋を爆破、日中戦争に突入したのもこの年。旧「満州」と僕は〈遠くて近い関係〉で切り結ばれている。

3年前の旅では旅順の旧日本監獄(旅順監獄旧址陳列館)も訪ね、日帝支配時、ここで絞首刑にされた安重根(ハルピン駅で伊藤博文首相を狙撃した朝鮮の「愛国烈士」)の人隣りにも触れた。
 安重根の首を吊った絞首台の滑車から下がった固いロープを前にして、胸が締めつけられる思いだった。このとき撮った写真は『週刊朝日』(02年11月1日号、グラビア3ページ)と、『週刊金曜日』(03年1月24日号、同6ページ)に載せた。どちらも「封印された日本の汚点」を白日にさらすスクープと自負しているのだが…。

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