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2005年11月19日(土)

猿も嗤う


藤田昭子作 「猿」

 11月9日(水) 東京・葛飾区の亀有社会教育館主催の連続公開講座〈戦後60年 被害と加害を考える〉初回講師として「沖縄戦」を語りに。テキストは自作のドキュメンタリー『ひめゆり戦史・いま問う国家と教育』(1979作)。話は沖縄戦の実態から基地問題、そして普天間基地の代替地決定をめぐる日米合意まで。

 参加者は高齢者が多かったが、3〜40代の姿も数名あり。帰途、講座を企画した与儀睦美さんと参加してくれた島袋陽子さん(琉球センターどぅたっち)の三人で居酒屋へ。泡盛で歓談。とはいえ話題はどうしても辺野古問題へ。傲岸不遜な小泉政治に誰もの怒りがつのる。酒も楽しく飲めない日々。明日は沖縄へ。

 11月14日(月) 暖かいはずの沖縄。連日北風つよく意外に寒い。着いた翌日から風邪気味で、喉が痛く咳がとまらない。きょうも外出を控え雑誌『世界』(1月号)の注文原稿に取り組むが、なかなか集中できない。テーマは普天間基地の移設先を「辺野古崎沿岸」と決めた日米合意。『世界』は12月号でも米軍再編を特集。その中でも沖縄基地を取り上げているが、次号は〈沖縄の声・本土の声〉として、仲里功、知念ウシ、僕の三人に書かすのだという。
 さて、今日〈11月14日〉で思い出すのは、いまから34年前の沖縄返還協定批准阻止闘争。対米従属きわだつ佐藤栄作首相に抗議、この日も全国各地で労働者や学生らが激しいデモを繰り広げた。その渦中で渋谷で警官が死亡、その容疑者として当時25歳だった星野文昭さんが逮捕された。
 一連の阻止闘争では公務執行妨害などの容疑で多くの市民が逮捕されたが、星野文昭さんは身に覚えのない「殺人罪」を被せられ、いまも獄中につながれたままだ。もう今年で30年。この間本人は一貫して無実を主張しているが、一審判決は懲役20年、二審は無期懲役、そして最高裁では上告棄却となり無期懲役が確定した。

〈この国に人権を! 星野文昭さんに自由を!〉

 救援運動は全国的に広がっているが、国は無実の青年を牢の中に幽封したまま、さらに〈沖縄〉で悪事を重ねている。

 まず、一日も早く星野さんの解放をはたすこと。そして彼の〈失われた30年〉を無にすることのない生き方をすること。
 午後、今月23日から一週間にわたって行われる沖縄大学を会場に行われる『米軍基地再編日米合意に「合意してないプロジェクト」』の件で岡本由希子さんと打ち合わせ。当初僕の出番は初日の23日だったが、当日は辺野古で「辺野古沖阻止・勝利集会」があるので、二日目の24日(木)に変更。沖大のミニシアターで午後1時から夜8時までぶっ通しの〈ビデオ&トーク〉。

 米軍政下で沖縄の民衆はどのように生き、どう闘ったのか。歴史に学び、新たな闘いの第一歩に。

 11月15日(火) 筑摩書房から『だれも沖縄を知らない』が雑誌『宣伝会議』の「読者が選んだ50冊」に入ったとの連絡あり。同誌1月号で発表の予定とか。じわじわと読者が広がっているのかもしれない。

 11月19日(土) 『世界』1月号の原稿、ようやく脱稿。たかだか5000字程の原稿を仕上げるのに、ワープロに向かうことまるまる一週間。なんという無様さか。飾り棚の上で、今年の干支の申(お猿さん=写真)が笑っている。この猿は、彫像家の藤田昭子さんからの贈り物。藤田さんは毎年暮れに手作りの干支の動物像を送ってくれる。仕事場の窓辺には、羊、午、蛇たちがずらりと並んで僕を楽しませてくれているが、なかでも今年の猿はなかなかの出来だ。

 苦作の原稿、はたして編集者の期待、意図に応えられただろうか。心許無いかぎりだが…。

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