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2006年2月8日(水)
いのちの再生

冬来りなば 春遠からじ
(枝垂桜。2005年4月、松戸市郊外で)

2月7日(火) 午後4時半、PCI(経皮的冠動脈形成術)、いわゆる心臓カテーテル手術開始。右腕に点滴の管、左腕には血圧測定帯、胸には心電図のモニター、そして足の指先には体内酸素量測定器…。事前の説明では心停止などにそなえ、心臓にショックを与え蘇生させる機器も用意されているとか。やはりおおごとだ。
 検査時同様、局所麻酔のため周囲の動きから医師らスタッフ間の言葉のやりとりまで、すべてが耳目に入る。首をもたげれば自分の心臓が大写しされたモニターさえみえる。心臓が鼓動している。細くくびれたあの動脈の中に血管を膨らます金具のついた管が入って行くと思うと、とても正視できない。こんなときは日光・東照宮の「三猿」を見習って、見ざる・聞かざる・言わざるを決め込むにかぎる。目を閉じてシャバの風景や友人たちの顔を思い浮かべて気をまぎらわせながら、ひとえに時間が経つのを待つ。
 検査時と異なり管(カテーテル)が太めな分、挿入時や取り外し時の痛みは強い。緊張で全身に力が入る。なかでも腕から首にかけては、いくら力を抜こうとしてもだめだ。

 実際に見たわけではないが、気配から察するに医師の手捌きは小気味良いほどに鮮やかなようだ。手術に要した時間はなんと正味20分。手術台上に横たわる僕に医師が笑顔で言う。
「森口さ〜ん、終わりましたよぉ。1時間ほど部屋で安静にして下さいね。その後はもう自由に歩いて構いません。多分あさってには退院できるでしょう」
 重い呪縛から解き放たれたような安堵感に包まれる。ベットに移され病室に。窓の外には街の夜景。狭い道路の向かいの小さなビルの屋上には「HOTEL」のネオン。きっと連れ込みホテルだろう。松戸の駅周辺は昔からお世辞にも美しい町とは言えないが、それでもシャバの風景は「生還の実感」を与えてくれるに十分だ。

 夕食は9時。無性にビールが飲みたくなる。大仕事をした、いや、いのちを貰って気分がハイテンションになっている。旨いだろうな、こんなときのビールは…。飲んでよいか、看護婦に聞いてみようと思ったが、だめと言われるに決まっている。ここは病院だ。ヤボなことは聞かぬがよい。
 これまで心配をかけた友人らに「手術成功」のメールを送る。気持ちが昂ぶり、なかなか寝付けない。
 退院したら、貰ったいのち、残された時間を今まで以上に有効に使おう。気になるのはやはり〈辺野古〉だ。

2月8日(水) 快晴。術後 2日目。手術の成功あいまって気分壮快。朝10時、腕の点滴、胸に張り付いた心電図のモニターなどすべて取り外してもらえた。これでベットの周辺わずか 1〜2メートルしか動けななかった飼い犬のような生活から 5日ぶりに解放される。
 11時、心電図。12時40分、シャワー。久しぶりで頭を洗いスカッとした。体重がこの一週間で 2キロ増えている。病室に封じ込まれて、食っちゃ寝、食っちゃ寝の生活じゃ無理はないか。

 午後6時過ぎ、手術の結果と今後のことなどについて、循環器科の平島修部長から説明を受ける。
 手術前と術後の写真を見ると、つぶれていた冠動脈が完全に元どおりになっているのが一目瞭然だ。
「もう健康な人と全く同じ生活をして下さい。走っても大丈夫。旅行もOK、気にすることは何もありません。血管を拡げるための金属の網状の筒は永久的に使えます」

 よいことづくめの説明に感激する。ただ、20人に1人の割で再発するケースがあるという。
「その場合、ほとんどは半年から9か月目に兆候が表れます。あなたの場合、8月と11月にもう一度カテーテル検査を受けるのがベストです。再発の可能性は5%ですから、現段階では95%は治ったと理解して頂いて結構です」

 もうカテーテル検査はごめんだが、仕方ないだろう。あとは検査だけで済むことを祈るしかない。
 いのちを「再生」させてくれた現代医学と、施術にあたってくれた医師、そして弱虫な患者を励ましてくれた友人達に感謝!
 退院はあすの朝。

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