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2月9日(木) 関東は朝から冷たい空っ風。でも陽光きらめき、春が近いことを感じさせる。
午前10時、一週間ぶりで退院。長い長い一週間だった。医師からさずかった病名は「不安定狭心症」。手術台に身を預けたときの恐怖と底深い不安…。こんな体験は一回限りでありたい、と心から思う。
朝日新聞夕刊の連載もの「ニッポン 人・脈・記」。この6日(月曜)から来週にかけては、〈それぞれの沖縄〉を生きる人たちを描く、題して「沖縄をつむぐ」。
4回目のきょうのテーマは「ウルトラマン」の原作者・故金城哲夫を通して見る“沖縄マイノリティー”。登場人物は上原正三(シナリオライター)、満田かずほ(円谷プロ顧問)、そして玉川学園高等部時代から金城を知る山田輝子と僕。
上原は「金城の(描く)ウルトラマンは、怪獣を殺ざず、懲らしめた。『人間の世界に出てきちゃだめだ。帰れ』と追い返した」と語り、満田は「(金城の)怪獣には生い立ちがあり、生活と意見があった」と話す。この二人は、金城と一緒に「ウルトラマン」や「ウルトラQ」「ウルトラセブン」などを作った仲間。二人の話は「沖縄人・金城哲夫」の優しさと思想の一端を言い当てていて、妙。
「沖縄人でありたい」「金城は、日本が描く設計図の中にはめこまれたくない、そんな気持ちを持っていた」……と僕。
いまでこそ、「日本人である前に、自分は沖縄人だ」と語るウチナンチュは多いが、金城は沖縄じゅうが“日本指向”に燃えたあの時代からそうした思いを胸に秘めていた。「沖縄人としての誇り」を感じさせる男だった。
その金城哲夫が死んで今年でちょうど30年。今月26日は命日だ。
皮肉にもこの30年の沖縄は、まさに「日本が描いた設計図」に取り込まれ、ヤマトに利用されつづけた30年だった。胸のふさがる思いだ。
上原も山田も金城哲夫の本を著わしている。
上原正三『ウルトラマン島唄』(筑摩書房)
山田輝子『ウルトラマンを創った男』(朝日文庫)
写真:朝日新聞の「ニッポン 人・脈・記」(06年2月9日付け夕刊)
2月11日(土) 三寒四温に身体がついていけず、風邪気味。タマゴ酒やバナナジュース、風邪ぐすりなど片っ端からのんで撃退につとめるも、くしゃみ、鼻水の症状は強まる一方。
正午すぎ、埼玉の近田洋一から電話あり。辺野古の浜で起きた3米兵による暴行事件(『沖縄日記』」第98号「辺野古の浜で起きたこと」)について、僕との連名で出すアピールの内容打ち合わせ。
辺野古の集落内では、これとは別にその後米兵によるレイプ未遂事件が起きている。女性はたまたま通り掛かった男性に助けられ、かろうじて難を逃れたが、犯人の米兵は助けに入った男を殴り倒して逃げたという。
こうした沖縄の状況に、日本のマスコミは依然として沈黙をつづけている。この国のジャーナリズム/ジャーナリストの人権感覚はいったうどうなっているのだろう。死者が出るのを待ってでもいるのだろうか。
1月21日付け琉球新報の「歌壇」に、つぎのような短歌が載っている。
新基地の埋め立て工事につぶれなむ 大浦湾の潮鳴り悲しむ
豊見城市の長浜富也さんの作。日米両政府が強行しようとしている辺野古崎+大浦湾への基地建設。その相も変わらぬ冷酷な政治を、沖縄の人々は信じられぬ思いで凝視している。
沖縄の闇は深く、果てしなく暗い。
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