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2006年2月15日(水)
柳宗悦のことなど


沖縄を彩る寒緋桜
(2月16日、那覇市与儀で)

 2月13日(月)  正午すぎ羽田発のANA127便で、昨年12月24日以来約50日ぶりの沖縄へ。年明け早々から心臓の検査や手術で入・通院がつづき、当初の予定より一か月余り遅い沖縄入りとなってしまった。
 
 日中の気温は20度前後。沖縄は草木が芽吹くうりずんの季節。湿度を含んだやわらかな風の肌触りが心地よい。心身に溜まった疲れが、気泡のように見るまに消えて行く感じだ。
 夜、東の空に大きな月が昇った。きょうは十六夜。旧暦の1月16日にあたり、沖縄では死者たちの正月「グソーの正月」。テレビをつけると墓の前に家族が集い、香を焚き、お重(ご馳走)を供えているようすを伝えている。沖縄の人たちは死者をとても大事にする。こういう所では、人は死んだ後も幸せだ。那覇など島の中南部はいまが寒緋桜の満開期。ピンクの花弁の下での死者との宴…。

 2月15日(水) 朝の静寂を破る自衛隊機の爆音で目を覚ます。うるさいことこの上ない。編隊で飛びかい、轟音をまき散らす。嘉手納基地のF15もやかましいが、F4ファントム特有の腹わたをえぐるような音も不快だ。

 昼前、宜野湾市の佐喜真美術館へ。スタッフ一同、「病院からの生還」を喜んでくれる。照れくさい。でも心配をかけてしまった以上「説明責任」がある。電話やメールなどでの入院見舞いに対するお礼方々“恐怖の体験”を話す。
 それにしても退院からわずか4日目の沖縄入りに、みんなびっくり。医学の進歩にだれもが感心するばかり。

 2月16日(木) 首里の沖縄県立博物館で始まった「柳宗悦の民芸と巨匠たち展」を観る。柳らの仕事は、かつて柳と親交のあった父の影響もあって、幼いころから折につけ接してきたが、沖縄での今回の企画展はなかなか力が入っていた。

 柳が、陶芸の浜田庄司や染色の河井寛次郎、そして版画の棟方志功らを引き連れて初めて沖縄の民芸調査に来たのは1935年。沖縄工芸の高い評価はこれをもって不動なものになった。
 浜田らは戦後も沖縄通いをつづけ、ときにはイギリスの陶芸家バーナード・リーチと共に壺屋に入り浸り、いまは亡き新垣栄三郎の窯で作陶したりした。1960年代の初め頃のことで、僕が新聞記者としてその場に立ち会い、写真を撮ったりおしゃべりをしたりしたのもこの頃のこと。
 東京の棟方志功のアトリエを訪ね、墨水画を描くようすをカメラに収めたり、彼らと親交の厚かった白樺派の武者小路実篤のポートレイトを撮った(これは僕がまだ高校生だったとき)こともあったが、残念ながらいずれのネガも散逸してしまった。惜しいことをした。でもこのとき棟方がくれた沖縄の壺屋の風俗を描いた墨彩画は、いまも僕の宝ものだ。

 今回の展覧会は、博物館の建て替えを記念して企画されたもので、柳らが収集した沖縄や朝鮮の民具や工芸品、戦前の沖縄の写真、それに浜田や河井、棟方などの優れた作品が多数陳列されていて、一見の価値あり。会期は3月12日(日)まで。
 新しい博物館は那覇市天久の新都心に建設中で、来年秋には初の県立美術館共々開館の予定。

写真:沖縄を訪れた柳宗悦 (右から2人目。1935年頃)

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