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3月 5日(日) 辺野古崎沿岸+大浦湾への新基地押しつけに反対する県民大会が、夕方から宜野湾市の海浜公園で開かれた。早朝5時半、家を出て羽田に向かう。午前中の沖縄行きの飛行機はANA、JAL合わせ10便すべて観光客などで満席。運良く08時05分発のANA121便のスーパーシートの僅かな空席にすべり込む。
こんなにまでして今日の沖縄入りにこだわったのは、「大会」そのものが目的ではない。僕の友人たち(詩人の高良勉や建築家の真喜志好一や、編集者の仲里功や現役の何人かのジャーナリストら)が企てている「沖縄の独立決起アピール」行動に立ち会いたかったからだ。
日本からの離脱―。そうなんだよ、これほどまでにヤマトになめられ続けていながら、日本への幻想を捨てきれないのは、どう考えてもおかしいのだ。
〈独立〉とは自分を大事にすること、自分の良心と誇りと尊厳をだれにも譲り渡さないこと、そして、自分たちの生き方は自分たちで決めること。そんなごく当たり前なことなのだ。
写真:「琉球共和連邦」旗を掲げて会場入りする一行
僕の一番の関心事は、この彼らの志に人々がどのように眼なざし返すかということ。「シタイヒャー!」(そうだ、その通り!。よく言った)と共感するか、「ナンセンス」と、白い冷ややかな視線を投げ返すか…。
午後2時すぎ、会場近くに約15人のメンバーが集結した。その様子を数人の公安(私服刑事)が遠巻きにして目を光らせている。(敵/権力は恐れるべきものを知っているなぁ。へぇ、「沖縄は独立しようよ」っていうのってそんなに「過激なこと」なんだったんだ」…)。
「琉球共和連邦」と白い文字で染め抜いた藍色の大きな旗が、春風に揺れる。「琉球独立!」と書かれた旗もある。やがて三線をかきならし、「インターナショナル」のウチナー口による替え歌を歌いつつ、横断幕を先頭にそろりそろりと会場入り。さっそく用意した1万枚のビラ配りに着手した。
ビラは2種類。一枚目は「琉球の独立を!」の大文字が踊る日・中・英3か国語によるもの。見出しに〈わたしたちは日本とは別の道を進もう〉〈自己決定権をわれらの手に!〉とある。時宜を得たアピールだ
( 本文はこちら )。
もう一枚のビラは、新聞の号外を模したもの。「琉球タイムス」の題字の刷り込まれたA3紙大の「新聞」。発刊日は2006年(琉球元年)3月5日。
大見出しに「琉球の独立決定/すべての軍事基地撤去へ」「暫定政府樹立・中国歓迎・日本政府は衝撃」とある。そして同じ1面には県民大会の大きな写真まで載っている。演壇には「琉球独立宣言県民大会」の文字(コラージュ)。 大会参加者に「独立」を呼びかける(左から)知念ウシさん、島袋陽子さん、高良勉さん
記事は、3月4日に行われたとされる県民投票で「独立支持」が75パーセントを占め、琉球の独立が決定したと報道。あわせて、ワシントンや北京、日本政府の反応をパロディー風に伝えた。
その中からワシントンと永田町の反応を書き留めておく。いずれのリアクションもきわめて含蓄(?)に富み、かつウチナンチュには思い当たるところあり、だから…。
【ワシントン発AP】ブッシュ米大統領は休暇中の別荘で狩りをしながら「オキナワは我が国の重要なカリブ海の平和の捨て石である。喜んで承認し、即刻、顧問団と海兵隊増員部隊を派遣し、民主主義と人権実現のため人道援助に介入したい。在沖基地は日本に移せばよい」と述べた。
【東京発・通信員】五日の県民投票の結果、独立宣言が発表されたことに対し、日本政府は衝撃を受けている。
政府高官は「あれだけ補助金を与え保護してきたのに、なにが不満なのかわからない。投票結果を詳細に検討し、次の一手を考えたい」と語った。総理は休暇中で連絡が取れないとしている。
× ×
独立よびかけのパフォーマンスは、決して人だかりがするほどの関心を集めるには至らなかったが、ビラは大会参加者から好感をもって迎えられ、引く手あまた。沖縄の忍従がいまや臨海点に至っていることを感じさせるに十分だった。
きょう3月5日は、いつの日か沖縄史に“独立第一歩の日”と刻まれる歴史的な日となるだろう。戦後“時代の節目”ごとに噴き出した独立論だが、これまでは新聞や雑誌など活字の上が主舞台。行動として表されたのは、97年の「復帰25年目」に開かれた二日間にわたる長時間公開シンポジウムが唯一。大群衆の前でのデモンストレーションは今回が初めてだ。
〈還我琉球〉
その清々しい志に共感する。 写真:真喜志好一が造った「琉球旗」
ヤマトンチュが「沖縄の独立」を言うのは、ヤマトンチュの責任放棄を意味する―。
これは僕がこれまでにとってきたスタンスだ。沖縄の問題はなにからなにまで日本が持ち込んだ問題だ。だから沖縄の人の力だけでは解決できない。それを知りながら「独立」を言うことは、〈沖縄〉から逃げることにはならないか。そう思うから、僕は自から「沖縄の独立」を主張することも勧めることも控えてきた。
でも、いまははっきり言える。「これ以上日本と付き合っていたら、沖縄は再び“日本の防波堤”にされてしまう。沖縄よ 逃げよ。ヤマトを見くびって自立せよ」と。
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