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2006年4月18日(火)
辺野古 その記憶と記録



「HENOKO」(50号) 作:近田洋一

いま、「シリーズ HENOKO」を描いています。これはそのひとつ、50号(90cm×117cm)で、いずれ4枚組にして200号の作品にまとめるつもりです。
 昨年 5月15日に妻が死去。急遽、沖縄に帰り、葬儀を済ませた翌日、辺野古を訪れ、大浦湾側からスケッチしました。
「お母ちゃんが静かに眠る島であてほしい」
 娘はそうつぶやいていました。
「これだけ強い抵抗があるのだから多分、海上基地はできないだろうな」
 僕はいささか楽観していました。
 そこへ降って湧いたように出てきたのが「沿岸案」です。公表された図面を見ると、こともあろうに大浦湾から真っ直ぐに滑走路が延びています。その先に妻が眠る墓があるのです。
「妻を2度も死なせる訳にはいかない」
 埼玉に帰ると憑かれたように制作に掛かりました。右方に妻を配し、上空からやや俯瞰した構図。穏やかな海面。だが、工事ともなれば、海底はパイルが打ち込まれ、鉄錆びで染まり、生き物は死に絶えるでしょう。
 振興策の名によって築かれた強固な防波堤(穏やかな大浦湾にそんなもの必要ではない)が基地と手を結ぶ。
 海の向こう、黒煙を上げ、赤く燃え上がるのは戦場だ。いや、沖縄が戦場であり、今こうして立っている足下が戦場ではないか。

 妻よ、許してくれ。とても「安らかに」とはいえないのだよ。


4月17日(月)  友人の近田洋一(元埼玉新聞論説委員)が、辺野古崎を絵画にしてメールで送ってきた。題して「HENOKO」。縦90、横117センチもある50号の油絵。

 手を触れたら身も心も染めあげてしまいそうな鮮やかな原色と、力強いタッチで、辺野古崎の〈記憶と現実〉がよみがえる。力作だ。

 昨年5月、長く病床にあったお連れ合いを喪くした彼だが、したたかな生命力と持ち前の正義感はいまだ青年の如き。歪んだ社会や政治の不条理に対する妥協なき発言と行動力もますます盛んだ。
 
 その一方で、最近は憑かれたようにキャンパスに向き合い、好きな絵画に熱中。今回の力作「HENOKO」となった。
 製作意図は本人の解説にゆだねるが、自身もいう通りこの絵はまだ一部で、完成の暁にはこの4倍、200号になるという。

 絵を前にして僕が想い起こすのは、いまから50年前の1957年夏、彼と二人で初めて金武、辺野古界隈を歩いたときのこと。
 辺り一帯は山々が切り崩され、谷が埋められて、米軍基地に変わろうとしていた。まだ高校生だった僕ら二人は、ブルトーザーやパワーショベルが唸りを上げる工事現場に忍び込み、見渡す限りの山並みが巨大基地に変貌していくさまに、ただただ驚き、声を失ったものだ。それがいまの「キャンプハンセン」であり、「キャンプシュワブ」だ。

 その日から50年、米軍はいまだに居座り続け、よりによって今度は海域まで埋め立てて“殴り込み部隊”海兵隊を再配備しようとしている。

 近着の琉球新報は、先に国と名護市が「合意」した新沿岸案に対する世論調査の結果を報じている。
 〈新沿岸案を評価する者 26・7%〉
 〈評価しない者 70・8%〉
 それぞれの内訳は
 ・高く評価 5・7%
 ・どちらかといえは評価 21・0%
 ・絶対容認できない 33・0%
 ・どちらかといえは容認できない 37・8%

 そして今回の島袋名護市長の合意への評価は
 不支持 59・0%
 支持 27・6%

  もう新たな基地はいらない―。
  これが沖縄の総意だ。

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