沖縄通信表紙    日記INDEX     前の日記     次へ→
2006年5月3日(水)

琉球の富

中村家 (北中城村)

 5月1日(月) 午後1時すぎ、雨雲立ち込める那覇空港に降り立つ。気温25℃、湿度90%以上。まるで雨期のさなかのような蒸し暑さだ。クーラーのがんがんにきいたバスの車窓から見る雨上がりの那覇の街。路上に水溜まりが目立つ。かなりの大雨だったよう。
 GWの盛り。観光客で騒々しい沖縄だが、この「旅」では喧騒を避け、この島の本来的な良さ/文化を体感する時間を十分に持つよう心がけたい。
 沖縄の軍事的位置づけをめぐり、戦争屋どもの画策のかまびすしいこのようなときこそ、土地の文化的富に触れ、琉球の誇りを体内に充填することが大事だ。基地を拒否することは命と文化を尊ぶことなんだから。

 5月2日(火) 浦添市美術館で [沖縄と濱田庄司展] (主催:沖縄タイムス社、共催:益子町文化の町づくり実行委員会、浦添市) を見る。
 この催しは今回の沖縄体感の楽しみのひとつ。僕が濱田に接し、その温和な人となりに触れたのはもう40年も前のことだが、壺屋の新垣栄三郎さんの工房でロクロを回し、絵付けを楽しむ氏の面影はいまも鮮明だ。

 〈京都で道をつけ、英国で始まり、沖縄で学び、益子で育った〉と、常々風土と自分の関わり合いを口にしていた濱田。彼は沖縄に流れる風や空気までも形象化し、美に昇華させて常民の日常を豊かにしてくれた。

 濱田が初めて沖縄の地を踏んだのは1918(大正 7)年。栃木県の益子に窯をかまえた翌年(1924年)には新婚旅行で再来沖。長く滞在して壺屋で製作に没頭している。

イギリスの陶芸家バーナード・リーチを連れて壺屋入り、陶器づくりに勤しんだのは1969年。土をこね、ロクロを回し釉薬をかけ、登り窯から立ち上ぼる煙を仰ぎ見る濱田とリーチの仲の良い姿は、傍で見ていて神々しくさえ感じた。
 壺屋の町がいまのように住家が立て込んでおらず、自由に窯に火入れができた時代だった。

そんな二人を受け入れ、自由気ままに工房を使わせたのが、当時“壺屋の三人衆”の一人として、すでに良い作品を世に出していた新垣栄三郎(当時48歳)だった。
 今回の展覧会にはその“三人衆”の新垣と金城次郎、小橋川永昌の作品も同時展示され、濱田の仕事に花を添えている。これこそ [甕スーブ/ロクロ遊び]。館内では四者四様の作品が主張しあい、みとめ合い、響き合って圧巻だった。

濱田庄司、バーナード・リーチ、金城次郎、小橋川永昌、そして新垣栄三郎…。
 この個性豊な陶工たちが、いまやだれ一人実存しないことが寂しい。([沖縄と濱田庄司展]は5月21日まで)

 5月3日(水) 高曇り。北中城村大城で地域の漆喰職人(左官屋)たちが作ったシーサー/屋根獅子展があると聞き、行ってみた。中城城址に近いこの集落は伝統的木造建築物・中村家で知られるムラだが、坂が多く、緑濃い静かなたたずまいがいい。
 会場の大城公民館の庭先では、多くの親子連れが瓦を材料にシーサー作りを楽しんでいた。他府県からの観光客も目立つ。
 館内では職人たちの手による大小さまざまな屋根獅子の展示即売。屋根の上や門柱に…と、物色する人たちで朝から結構な賑わいだ。それもこれも伝統と風土を活かした地域の活性化ということなのだろう。

 せっかくここまで来たのだからと、帰路、中村家に立ち寄る。数百年の風雨に耐えた沖縄の家屋。前に来てから30年以上経っていようか。いつ見ても気品に富んだいい建物だ。
 残念だったのは、屋敷の門を挟んでやたらに大きなみやげ屋ができ、せっかくの雰囲気を台無しにしていたこと。なにごとにもバランスというものがあると思うのだが…。

←前へ * 次へ→

Copyright(c)1999-2006 Katsu Moriguchi ALL RIGHTS RESERVED.