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2006年5月7日(日)

陶の町 散策

壺屋 [東(アーリ)ヌ窯]をみる一行

 5月 7日(日) GW最終日。那覇は小雨模様。連休を楽しんだ行楽客のUターンで沖縄の各空港はごった返しているとか。“沖縄みやげ”に基地を抱えて帰ってくれる人は、はたしているのだろうか。

 午後、[濱田庄司が愛した壺屋を訪ねる会] (主催:沖縄民芸協会)に参加、陶芸界の巨匠・濱田庄司を偲んで壺屋界隈を散策した。
 ガイド役は沖縄民芸協会会長の宮城篤正さんと陶工の島袋常栄さん。濱田が沖縄で仕事場にした新垣栄三郎さんの工房を皮ぎりに、いまも昔ながらの姿をとどめる登り窯「東(アーリ)ヌ窯」(国の重要文化財)などを巡る。

 新垣さんの工房では、幼い頃から濱田庄司の仕事ぶりを見てきた栄三郎さんの長男・勲さんが、濱田の人となりを語った。
 言われてみて思いだしたが、濱田はいつも正座をして手回しのロクロをひいていた。藍色の作務衣を身にまとい、威儀を正して仕事に入れ込む姿は、ある種の近寄りがたさを感じさせたが、冗談も口にする気さくで庶民的な人だった。

〈濱田先生は、その土地土地の風土を作品の中に取り入れる方でした。私なんかはどこでやっても同じ物しかつくれないのですが…〉

 勲さんは言った。濱田が皿や花瓶などに好んで描く唐黍模様。あの素朴で凜とした図案は、沖縄の砂糖きびがモチーフだ。
 壺屋界隈はいまでこそビルや民家が立て込んでいるが、かつては砂糖きび畑に囲まれ、ざわわ、ざわわといい風が吹いていた。濱田の筆はそんな情景をさりげないタッチで描きあげた。その芸は栄三郎に引き継がれ、いまはさらに若手の陶工たちのものともなって開化している。

 僕が栄三郎さんの窯を頻繁に訪ねたのはもう40年前。いっときは、窯開けの都度通って茶碗や皿なでを求め、日々の生活に花を添えた。特注した厨子甕(骨壺)や大きな抱瓶は、最近ではなかなか出会えないようないい作品だ。いずれ我が家の逸品、八重山・新城島の [パナリ焼] とともに、壺屋の [やちむん博物館] に寄贈しようと思っているのだが…。

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