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2006年5月13日(日)

歴史の記号

「恨の碑」除幕 ( 5月13日、読谷村瀬名波で)

 5月11日(木) 沖縄の島々の上に、今年もまた屈辱的な〈3桁の数字〉が立ちあらわれ、人々の感情を高ぶらせる。〈4・28/ヨンニィハチ〉〈5・15/ゴーイチゴー〉〈6・23/ロクニィサン〉

 できることなら忘れてしまいたい、記号化された〈負の歴史〉。数字たちはいつになっても過去/歴史にはならず、〈現在そのもの〉の顔をして人々につきまとう。

 対日講和条約の発効で日本から分離され [基地の島] であることを運命づけられた〈4月28日〉。支配者が米国から日本に変わっただけの〈5月15日〉。そして20万余の屍を積み上げた沖縄戦の死者たちを慰霊する〈6月23日〉―。

〈4・28〉が去り、今度は〈5・15〉が近づいてくる。「34回目の」という冠をつけて。この長く重い歳月…。いったい沖縄は、いつになったら 心の休まる穏やかな日々を取り戻せるのか。

 もうこれ以上、沖縄に不幸な記号を積み重ねてはならない。血と涙で彩られた記号なんてもうたくさんだ。

 午前10時、テレビのニュースは、「普天間基地の辺野古沿岸部への移設を、稲嶺知事が容認し、額賀防衛庁長官と確認書を交わした」と報じた。それを追うように夕方のニュースは、稲嶺知事を官邸に迎えた小泉首相が「いろいろと協力ありがとう」と [日米合意] 受け入れに謝意を表した、と伝えた。

 だが、テレビに映し出された稲嶺知事の表情がどうもおかしい。たたみかけられる報道陣の問いにも「容認ではない」「県のスタンスはなにも変わっていない」の一点張り。「してやったり」といわんばかりの額賀長官や小泉首相の言動との落差はなんなのだ。

 マスコミは〈5・11〉に起きた一連の“政治ショー”を、あたかも米軍再編に向けてのすべての障害が取り除かれたかのような「晴れがましいできごと」ででもあるかのように伝えている。

〈2006年5月11日〉
 沖縄史にまた〈新たな不幸〉が刻まれた。

 5月13日(土)  気温30・9℃。真夏を思わせる灼熱の太陽の下、東シナ海を望む読谷村の小高い丘の上に新たな碑(いしぶみ)が建った。その名は「恨(はん)の碑」。沖縄戦のさなか、朝鮮半島から強制連行されて異国の地で死んだ2,815人を慰霊し、日朝の平和と友好の礎石にと、多くの人々の善意で建立された。

 銃剣を振りかざす日本兵に引き立てられ、処刑場へ向かう朝鮮の男。その足にすがりつく母親…。レリーフは縦2・8メートル、横2メートル。彫刻家の金城実の作。同じものが99年、韓国・慶尚北道英陽群にも建てられていて、二つの碑は海峡を挟んで互いに向き合い、民衆の心を響き合わせることになる。


写真:「恨の碑」除幕。碑を前に琉球舞踊「初穂」を舞う高嶺久枝さん(読谷村瀬名波で)

 除幕式には、父親を宮古島に強制連行されたテ・ヨンさん(56歳)、慶良間諸島の阿嘉島で弾薬運搬などをさせられたカン・インチャンさん(85歳)らが参列、「日韓両国が手を携え、二度と悲惨な戦争がない世界に」と話し、死者の霊を悼んだ。

 〈恨〉は、日本では恨みを意味するが、朝鮮でいう〈恨〉には、恨みを越え共生の道を切り開く、未来指向の意が込められているという。

 国境を越えた民衆同士の連帯。人々の顔が美しい。

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