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2006年7月11日(
)

沖縄よ

海からの贈り物 シャコ貝

 7月1日(土) 沖縄猛暑つづく。昼下がり、夏ゼミの初鳴きを聞く。いつもの年より遅いようだ。今年は旧暦の7月が2度ある、閏月(沖縄で言う「ユンヂチ」)なのだ。
 そういえば今日の琉球新報夕刊に、いつもの年なら旧暦の6月1日前後に群れをなして島に寄って来るスク/アイゴの稚魚が、今年はまだ来ないので漁師たちが気をもんでいると出ていた。こちらもひと月遅れなのか。
 スクは沖縄の海んちゅにとって夏のボーナスのようなもの。ひと網でサバニに積みきれないほどもとれることもある。唐揚げにしても旨いが、島豆腐に乗せて食べる塩漬けの味も格別だ。
 スクが寄りつかない理由を「季節が若いから…」と海んちゅが言っているとか。「閏月」を指してのことだろう。海にも陸にも、今年はいつになくゆっくりとした時間がながれている。

 新聞は、元首相橋本龍太郎の死を大きなスペースを割いて報じている。与野党揃って「偉大な政治家だった」と褒めちぎっている。「人間、死ぬと偉くなる」とか、「死者にムチ打たず」というから仕方なかろうが、それにしてもちょっと甘すぎないか。彼には常にダーティーなイメージがつきまとっていたし、なによりも首相時代にクリントン米大統領との間で合意した「日米安保の再定義」で、21世紀の日本の進路を誤らせた罪は大きい。

  7月 4(火) かつて深尾須磨子という詩人がいた。大きな張りのある声で彼女が「沖縄よ」と題した自作の詩を朗読するのを僕は聞いた。1956年7月4日。ちょうど50年前の今日のことだ。ところは東京の日比谷野外音楽堂(通称・日比谷野音)。「沖縄返還要求国民総決起大会」と名づけられた社会党・総評系の大集会でのことだった。

沖縄では軍用地の接収をめぐって「島ぐるみ闘争」が繰り広げられていた。大会はそれを支援し、沖縄を「祖国日本に抱き取ろう」と開かれた。

 深尾須磨子の詩は、異民族支配下で傷だらけになりながら、必死で生きようとする [沖縄] を気遣った詩で、朗読が進むにつれ、寸分の余地もないほどの人で埋まった会場が、水を打ったように静まり返ったのを、僕は自分の頬を伝う幾筋もの熱い涙の感触とともに覚えている。梅雨の合間のビルの谷間から、海の彼方の沖縄を想い無性に悲しかった。

あの日から半世紀。[沖縄の闇] は歳月と共に深まる一方だ。夜、NHK沖縄放送局でディレクターやカメラマンらを相手に [ビデオ&トーク]。参加者12人。全員他府県人。沖縄の復帰前と復帰直後に撮ったドキュメンタリーを見たあと、懇談。沖縄と向き合う真剣なまなざしを感じる。

7月 6日(木) 正午前の便で沖縄を離れる。もっとゆっくりしたいのだが、明日は通院日だから。先日の低血糖(25)、医師は仰天するに違いない。健康な人の数値/正常値は90〜110なのだから。即入院などということにならなければよいのだが…。

  7月 7日(金) 朝イチで病院へ。先日の低血糖続発とワースト記録の原因解る。2日続けてインスリンを日に2回に増やして注射したのがいけなかった。いま射っているインスリンは24時間利く種類。つまり利き過ぎ。危険な過ちを冒してしたわけだ。要注意。

7月11日(火) 新聞社からの依頼で沖縄の民放3局が最近制作、放送したドキュメンタリー番組4本をみる。
『海にすわる』(QAB)、『カメさんの背中』(OTV)、『お笑い米軍基地』(RBC)、『かっちゃん/還暦越えのロックンローラー』(同)。
 真正面から基地問題に挑む沖縄の放送人たちの魂が熱い。

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