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8月13日(日) 宜野湾市の沖縄国際大構内とその周辺に、米海兵隊戦闘用ヘリが墜落してきょうで2年目。“黒焦げ壁”の大学本館は跡形もなく、跡地では建て替えが進む。
青いシートを被せられたまま構内に放置された“黒焦げ壁”は、活用方法さえ決まっていない。壁面を染めた噴煙はやがて色あせ、消えていくだろう。人びとの心の風化ともども、気怠さが夏の沖縄を覆う。あの日の記憶を僕らはいつまで持ち続けることができるのだろうか。普天間基地は、なにごともなかったように街のど真ん中に居座り、ジェット戦闘機や大型ヘリが爆音と危険をまき散らしている。
[夏の甲子園]、沖縄代表の八重山商工が、長野県代表の松代高校を5-3で破り3回戦へ。きょうの沖縄は「勝った!勝った!」の大興奮。
この快感、沖縄をいたぶり続けるヤマトへの鬱憤晴らし、と解説するむきもあるのだが、いわれてみるとそんな気がしないわけでもない。
8月17日(金) 四国〜鹿児島沖をうろついている台風10号の影響で、やたらと蒸し暑い日が続いている。
きのう沖縄入りしたNHK「ラジオ深夜便」の西橋正泰アナウンサーと共に朝から久高島へ。ニライカナイへの道/東の海を前にした伊敷浜でインタビューを受く。テーマは「島に吹く風」。つまり『だれも沖縄を知らない―27の島の物語』のラジオ版。だが、終始話が上滑りで、不完全燃焼。悔いの残る内容になってしまった。インタビューに答えるのって難しいなあ。
8月18日(土) 離沖。約1か月もの長逗留だったのに、腰痛がたたり無駄な日々を過ごしてしまった。
『だれも沖縄を知らない』4刷が出来上がり、筑摩書房から見本本が届いていた。発刊1年で早くも4刷。本が読まれない時代に、こういう地味な本に手を伸ばしてくれる人がいる。
8月22日(火) きのうと今日、新聞に訃報二つ。
写真家の藤本四八氏が19日、脳出血で死去。享年95。土門拳、木村伊兵衛らと並び称される日本の写真界の大御所。日中戦争に従軍。戦後は京都・奈良の古寺を巡り、仏像や寺院のいい写真を撮っていた。愛称「ヨンパチさん」。
写真家志望だった僕は高校・大学時代、ヨンパチさんを師と仰ぐ地域の写真サークルに所属、東京・世田谷のヨンパチさんの家で開かれる月例の勉強会に参加していた。
雪の日、画家の林武二のアトリエで行われた撮影に、助手として連れて行ってもらったこと、のちに那覇市の肉市場で僕が撮った老女のスナップ(『沖縄
近い昔の旅/非武の島の記憶』所収)を絶賛してくれたことなど、思い出が尽きない。
訃報のもう一人は、農村医学の先駆者、若月俊一氏(長野県佐久市の佐久総合病院元院長)。けさ早く肺炎のため死去したという。享年96。
「予防は医療に勝る」をモットーに、率先して貧困にあえぐ農村に足を運び、15歳以上の村民に年1回の健康診断をするなど、農村医療に尽くした功績は大きい。
死んだ僕の父は、自身のがん罹患を知るや、「若月先生の病院にかかりたい」と、佐久病院に入院。最期を本人が最も崇敬する若月氏のもとで迎えた。
そんなこともあって何度か氏の姿に接しているだけに、哀惜の思いひとしおだ。
ヨンパチさん、若月先生、どうか安らかに。合掌。
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