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2006年10月12日(木)

シスコにて

サンフランシスコの街角で (06年10月10日)

 10月10日(火) 18時、夕陽に染まる成田からUA 838便で一路サンフランシスコへ。機種はボーイング 777-200型。この機種はB-747などくらべ座高がやや低く、日本人の体形にフィットするので長時間のフライトには好都合だ。しかも横1列5席すべて空席の席が取れたので、食事時以外は身体を横たえることができた。座りっ放しで夜を徹するのとは大違い。ラッキーな出だしだ。
 時速約 500マイル/805キロ、高度1万2000メートルで日付変更線を越えての太平洋ひとっ飛び。途中揺れもなく、予定より1時間以上早い10日午前10時27分シスコに着いた。日本との時差16時間、やがてボデーブローのように睡魔が襲ってくるだろう。
 出迎えのクルマでコロンバス・アベニューのHOLDAY INN FISHERMAN'S WHARFに入る。玄関先やロビーに迷彩色の野戦服姿の米兵がうようよいる。どうやら“軍御用達”のホテルのようだ。それにしてもなぜ戦闘服のままホテルに出入りするのか。アメリカではそれが当たり前なのか。気がしれない。

 さて乗船までまる24時間、どう過ごすか。何一つあてもなければ、この地に興味があるわけでもない。こういう旅はやっかいだ。仕方ないので昼飯がてら街に出た。
坂の多い街。ぶらぶらと登って行くと映画やテレビでお馴染みのサンフランシスコ名物、ケーブル電車が目にとまった。そうだ、ここに来たらこれに乗らなければ…。道路に敷かれた軌道を辿って5分ほど行った海の見える丘の上がその始発駅だった。かくして目的地不明の、チンチン電車に揺られての市内見物とあいなる。
 観光客だろうか、それほど混んでもいないのに、いい歳をしたアメリカ人の男や女が手摺につかまり、ステップから身を乗り出す“ぶら下がり”を楽しんでいる。映画スターにでもなった気分なのか。
 料金は5ドル均一。あとで知ったのだが終着駅はユニオン・スクエアーというサンフランシスコ一の繁華街だった。デパートやブティックが多い。人込みの中を食べ物屋を探してさまようも、見つかるのはファーストフード店ばかり。結局スタバのコーヒーとマフィンでお茶を濁す。

 帰路は歩くことにした。かなりアップダウンが多いうえ、距離があり過ぎると思えたが、運動不足の身にはそのぐらいしないと、と腹に決めた。地図も持っていないので、線路に沿って行けば元来た所に帰れると思ったが甘かった。途中で別の線と交差していたらしく、方向を間違えて迷いに迷う。強い日差しと坂また坂に全身汗だくで、1時間がかりでホテルに帰りつく。旅の初日から洗濯物を増やしたくなかったのだが…。

 夜、睡魔と闘いながらテレビのニュース (NHKの国際放送) を見ていたら、沖縄のパトリオットミサイルの搬入に反対して、8日から天願桟橋ゲート前で座り込んでいた人たちに機動隊が実力行使。阻止隊を排除してミサイルの搬入が行われたと伝えていた。今月初めのキャンプ・シュワブに続いてまたも機動隊の導入。国家権力は [米軍再編] をこうしてことごとく機動隊の力で押し切っていこうとしていることがこれで明白になった。

 10月11日(水) きょうはピースボート(PB)乗船日。時差ぼけで頭が重い。船からの迎えが10時から13時30分に変更になったので、午前中はひたすら睡眠。昼飯は近くの港湾界隈/フィッシャーマンズワーフの出店で軽食とビール。
13時40分、PB (パナマ船籍「トパーズ号」3万1500屯) 乗船(出港はあす)。同航者/パートナーの小林深吾君から今後のスケジュールの説明と船内の案内を受ける。船室はワンルームマンション並みの広々としたツインルーム。1人で使うにはもったいない部屋だ。気苦労のない、気ままな1週間の船旅ができそうだ。

 10月12日(木) シスコはきょうも快晴。今夜の出港を前に船客(約900人)の大部分は現地NGOとの交流など、8コースに別れて朝から“船外活動”に出かけたので船内はひっそり。
 午後、コーヒーを買いに1時間ほど街を歩いたほかは終日船内で読書 (目取真俊の『虹の鳥』)。
 23時40分、ホノルルに向け出港。深夜だというのに離岸する船の周囲をカモメが飛び交っている。0時10分、船は滑るようにゴールデン・ブリッジをくぐり湾外へ。空に上弦の月。

【写真】サンフランシスコに停泊中のピースボート

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