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2006年10月23日(月)

ハワイの光と影

海兵隊員募集の垂れ幕
(アリゾナ記念館近くで)

 10月20日(日) サンフランシスコ〜ハワイ間8泊9日のピースボート上での“沖縄講座”を終え、19日夜下船。日本へ帰る一行を埠頭で見送り、深夜ホノルル市内のホテルにチェックイン。蒸し暑く、全身汗びっしょり。船内での濃密なスケジュールの疲れがどっと吹き出す。今日、あすの2日間は“ハワイ、のんびり一人旅”。

 久々の朝寝坊。まずは、一度は見ておきたかった真珠湾内の「USSアリゾナ記念館」へ。日本軍の真珠湾攻撃による犠牲者2,388人中、戦艦アリゾナの死者1,177人の名前を刻んだ追悼施設。
 見学者は入口で 200人くらいづつに束ねられてシアターに誘導され、強制的に真珠湾攻撃の記録映画(約20分)を見せられるのだが、不覚にもほとんど寝てしまった。その後ボートで、海底に沈むアリゾナ号をまたいで建つ記念館へ。“米国版・ヤスクニ”といったところか。さしたる感慨なし。

 昼食は敷地内の出店でサンドウィッチ。ふと上を見上げると天井から大きな垂れ幕が…。
 《THE US MARINES WANT YOU》

 辺りを見回すと、若者を軍隊に勧誘するこうした垂れ幕がいくつも下がっている。敵の「卑劣な奇襲攻撃」で敵対心や愛国心をあおった挙句、さあ軍隊へどうぞとは、いかにもこの国らしい。昨日の夕方、PBの若者たちに「国家の安全保障は絶対に武力に頼ってはならない。他国との軍事同盟も不要」と語ってくれた元弁護士のポカ・ラエヌイさんの表情が、ふと目に浮かぶ。

 前夜PBを一緒に下船した『ゼネレーション タイムズ』編集長・伊藤剛さんとカラカウア通りで夕食。沖縄事情を語り合う。彼はたしか沖縄復帰前後の生まれ。若者に〈沖縄〉や〈戦争〉を語るのは彼のような若々しい世代の方がいいのかもしれぬ。いつの日かの那覇での再会を約してホテルへ。

 10月21日(日) 朝から路線バスでオアフ島東北部の“沿岸ツアー”。ホノルル市内から約65キロ。那覇〜名護間(バス料金約1700円)と同距離だか、料金は2ドル/ 240円足らず。途中下車をしながら海辺などを散策。帰路、ホノルル市内のビショップ博物館へ行くつもりだったが、土地勘のなさが災いして時間切れ。いい博物館と聞いていただけに心残りだ。

 夕方からワイキキの浜で本場のフラダンスを見る。観光客のために毎夕やっているそうだが、技量的にはイマイチ。おそらくダンス教習所あたりの研究生なのだろう。

 日本人とアメリカ人観光客でごった返す“ハワイの原宿”カラカウア通りに、竹笛など民族楽器でアンデス音楽を奏でている2人の男の姿あり。「コンドルは飛んでゆく」などの懐かしいメロディーにしばし聴きほれる。どうやら「チャスキス」の名で知られるぺルー人奏者らしい。道ゆく人が足を止め、小銭を箱に投じていく。「ドリームランド」というCDを1枚買う。

 超高層ホテルが林立し、世界の高級ブランド品店が眩い街、ワイキキ――。この街を〈ハワイの光〉というならば、島のあちこちの海辺にひっそりと建ち並ぶホームレスたちのテントやバラックを何というべきか。
 つきなみだが、やはり〈現代ハワイの闇〉とでも言うべきなのだろう。
 近年ハワイでは貧富の差が急激に拡がり、深刻さをましているという。おととい、「非武装」を僕らに説いたポカ・ラエヌイさんは、社会から取り残され、貧困と心の病に苦しむこうした先住民などのカウンセラーに心血を注いでいるという。

 南国の真っ赤な夕日に染まるホームレスのテントの群れ。そこにうごめく貧しい人々。男、女、幼い子供たち、家族たち…。僕の目と心に焼き付いた“もう一つのハワイ”。

 10月22日(日) 10:30分、ホノルル空港発のUA879機でハワイを離れ、23日13:10分成田着。2週間ぶりのニッポン――。

「非武装・非暴力」を説くポカ・ラエヌイさん (10月19日、ホノルル郊外の岬で)

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