沖縄通信表紙    日記INDEX     前の日記     次へ→
2006年11月5日(日)

「ピースボート」再び


紅型の中のオキナワ

(照屋勇賢作/佐喜真美術館所蔵)

10月30日(月) 3日前から痛み始めた左膝の関節、近所の整骨院で診察の結果、関節炎とわかり安堵。結局のところ、これも年のせいか。階段の上り下りが相変わらずきつい。ピースボート乗船まであと3日。それまでに治るだろうか。

11月 1日(水) 思いもよらぬ親戚の不幸。弔問で終日ついやす。戦後の飢餓の時代に東京・世田谷の我が家で起居を共にし、兄のように慕った叔父(82歳)の死。秋風が身に染み、侘しがつのる。

11月 2日(木) 午前11時、第55回ピースボートの「水先案内人」として横浜港を出港。桟橋を埋めた大勢の見送り人と乗船者 850人で出港式。〈祝 出港〉の乾杯の音頭を命じられ、デッキの上でシャンパングラスを掲げる。
 船はあす、神戸で残りの乗船者を乗せたあと、5日には最初の寄港地那覇に着く。この間1時間半ほどの“沖縄講座”を1回受け持つ。沖縄の「過去と未来」、つまり見えない部分をいかに語るか。それが僕の役割。

 夕方から発熱、身体がだるい。風邪を引いたらしい。悪化させてはいけないので、ひたすら寝る。

11月 4日(土) ピースボート、沖縄に向けべた凪ぎの海をひた走る。気温も少しずつ上昇。朝下着を一枚脱ぎ、夕方にはセーターをしまいこむ。海は碧さを増し、心なしか湿度も高くなってきた。
 あすの沖縄入港を前に夜8時半から大ホールで沖縄講座。聴衆約300人。演題は『沖縄が映し出す日本』。沖縄にとって日本とは、日本にとって沖縄とは…。この古くて新しいテーマを、かつて国会議事堂正門鉄扉に生身の身体を叩きつけて自死した上原安隆青年の生き方を中心に話す。
 神戸から水先案内人として乗船してきた沖縄の若きミュージシャン・カクマクシャカの安村磨作紀君らと泡盛のミルク割りで深夜まで歓談。安村君、感覚が斬新で、反応がすこぶるいい。

11月 5日(日) 前夜の深酒がたたり寝坊。目が覚めると船は伊江島沖に差しかかっていた。時速20ノット(30キロ)、この分では那覇に着くのは午前11時頃か。沖縄島を海上から眺めるのは何年振りだろうか。
11時、下船。安謝新港埠頭には、前回のピースボートで出会った沖縄の若者たちがエイサーを踊って出迎えにきている。彼ら/彼女らはサンフランシスコ―ホノルル間で〈沖縄〉を語り会い、考えあった若者たちだ。再会をよろこびあってしばし歓談。

←前へ * 次へ→

Copyright(c)1999-2006 Katsu Moriguchi ALL RIGHTS RESERVED.