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2006年11月24日()

,620票の気概


投票前夜、打ち上げ式で市民の声援に応える糸数候補ら
(06年 11月18、沖縄県庁前広場で)

 11月19日(日) 沖縄県知事選挙。勝たなければいけない選挙で負けた。人材難の相手陣営。当選した「自公」の仲井真弘多氏は、だれがみても沖縄の命題を託せる「知事の器」ではない。加えて「野党統一候補」の糸数慶子さん側は、攻める材料に事欠かなかった。辺野古新基地計画、米軍再編、迎撃ミサイル・パトリオット配備など、住民の頭越しでつぎつぎと強行される沖縄の“針ネズミ化”と、安倍内閣による教育基本法改悪や改憲作業の加速…。こうした要素は「糸数圧勝」の条件を満たして余りあるものであった。

 だが、選挙結果は34万7000票対31万票。決して「小差」とはいえない敗戦だ。敗因はいろいろあろうが、とりわけ大きかったのは野党の“5頭だて馬車”の足並みが揃わず、戦略も戦術もないまま旧態依然とした選挙戦を繰り広げたことだろう。候補者とそれを支えた市民にはやりきれない敗戦だ。

 選挙結果を受けて、政府は「普天間返還」に名を借りたキャンプ・シュワブ (辺野古基地) の軍事要塞化に拍車をかけるであろう。辺野古のおじいやおばあたちにこれ以上苦労をかけさせないですむ絶好のチャンスだったのに…。そう思うと言葉もない。

 でも、そんな選挙にも「救い」がなかったわけではない。マスコミからは完全にスポイルされ、泡沫候補扱いされた琉球独立党候補者の健闘だ。
 候補者は千葉県で会社を経営する屋良朝助さん(54)。沖縄政界でも無名の彼が 6,220票も得票した。投票総数の1%に近い数だ。しかも県内41の市町村からまんべんなく得票している(那覇 1576票、沖縄市 575票、浦添市499票)。都市部では揃って「1%」の得票率だ。

 過去の沖縄の首長選で「独立」を主張する立候補者が出た例は、1968年の琉球政府主席選挙がある。日本復帰を目前にしたこの選挙で、保革の大物候補の間に割って入ったのが那覇市内の公認会計士、野底土南(のか・どなん)氏だった。しかし、得票数はわずか 140票 (屋良23万票、西銘20万票)。いわば親戚縁者+友人票を集めたぐらいの得票数だった。今回の得票は実にその20倍だ。沖縄の中に独立を是とする人が確実に増えている証しだろう。

 沖縄紙を含めマスメディアは、終始屋良に他候補並みのスペースを割くことはなかった。「屋良は独自の戦い」。いつの場合も、マスコミはこうした常套句でお茶を濁した。そんな不利な条件下で集まった「6,220票」。無視しつづけてよい現象とは思えない。日本の沖縄差別に終止符が打たれないかぎり、沖縄の「独立志向」は強まっていくだろう。

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