沖縄を観て来て

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 日本人は米が常食だから白米を道にまけばそれを踏み越えて改めて来るようなバチ当りなことはすまい」薩摩の大軍が押しよせて来た時にこんな神様の様菜な作戦を出した沖縄こそは、古来日本が封建性無自主性等と抱き合せではあったが、持っていた理屈ではなく、ごく単純に人から人へと取り交わされるヒューマニズム、同一家庭的人間愛を(このようにたて続けに字でかくと安っぽくなっていけないが)80万の人がみんなその身体に手足同様に持っている様に思われてならない。

この日本にはない日本の故郷とも云える島を訪ねたのは、昨年の4月でした。

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 連絡の手違いから一文なしで那覇港で立ち往生していた17歳の僕は、日本なら差当たり、マンボスタイルのあんちゃんとでも云う様なデニムのズボンにアロハシャツ青のサングラスをかけた沖縄のあんちゃんにさっと寄って来られた時には、ハッとしたものです。

 所が驚いた事に日本人より純朴であると、日本人にもアメリカ人にも思われて沖縄人の魂は軽俳浮薄なアメリカの衣装等では、微動だにしなかった様です。その人は僕をバスセンターに案内してくれたばかりでなく与那原行きのバスをさがして呉れ何とバスの切符まで買ってくれたんです。でも僕にはその質と量とで桁違いとゆう感じがしてたまらない。

 ある種の興奮と慈善行為をしていると云うカチカチの心の代りに、その人は僕の心から不安がなくなるまで、その人に心の満足が得られぬ如き風ぜいで僕を導いてくれたんです。

 思いつきでふと行った僕はあらゆる人と出来るだけ話し合って見ました。15日間の滞在中に、職業も身分も違う人の所に行きました。勿論無雑作な人間愛のおかげでしたが、その中で鈍感な僕に取っても忘れられないは沖縄戦も末期の頃ちりちりに敗走していた日本の軍隊があちこちで、「住民集れ−」とわめいたそうです。みんなは日本軍が助けに来て呉れたと云うので喜々として集まったらしい。するとやおら偉そうな将校が立ち上がり曰く「我々は帝国軍人である敗色の濃い日本を救う者は我々以外にはない。他方お前らはどうせ玉砕するこの島で米兵の捕虜になって恥をかくより日本軍の手で始末してやる。「撃て!!」すると後に待機していた兵隊の機関銃が火を吹いたそうです。ただ日本兵は米がほしかったのだ。聞いている僕は作る顔もなく暗いのをさいわいあらぬ所を向いていたのにその事件で妹さんを殺された土地の古老は沖縄の人の特有な太いまゆの下に、仏様みたいなあわれみの眼差で淡々として語っていました。

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1 詩 主旨 詩「農土」  2 沖縄を観て来て  3 詩「林」  4 沖縄を故郷に持って  5 詩「島のコウロギ」  6 解説

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