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沖縄通信 No5

比嘉康雄さんの無念な死

 大切な人を喪なったとき、私はご遺族の赦しを得てその柩に真紅のバラを一本ささげることを常としている。日本では人の死に派手な色彩が馴染まないのはいうまでもない。だが、私はあえてそうする。その人の生前の生き方や仕事を最大限に讃え、さまざまな教示を与えてくれたことへの私なりの精一杯の謝意のしるしである。
 最近では92歳で逝った母を送ったとき、そしてその前は沖縄での心の友であった建築家、金城信吉氏のときがそうだった。あるときは激しいおえつに抗いながら、またあるときは納得づくの晴れやかな気分で...。

 写真家、比嘉康雄さんは、やさしい眼差しでたえず私の仕事を遠くから見つめ続けてくれた友であった。医師から余命3ヶ月から半年と聞かされたのに、病魔はそれから21日で彼の命を断った。5月13日午後4時20分、享年61歳。やりのこしたことが多かったゆえ、無念であったに違いない。比嘉さんの柩には真紅のバラがよく似合った。
 比嘉さんは琉球弧の祭祀を撮りつづけた写真家。その仕事は民俗学者谷川健一と共に結実した『神・人間・動物』『神々の島』『琉球弧 女たちの祭』をはじめ、宮古島や八重山諸島、そして比嘉さんのライフワークともいえる久高島の祭祀をペンとカメラで丹念に記録した『神々の古層』など、限りない。
 この人、元は警察官であった。コザ高校を卒業後琉球警察の嘉手納署に勤務、その時遭遇したB52戦略爆撃機の墜落爆発事件が彼の人生を変えさせた。基地をとりまく連日連夜のデモ。
…自分はいのちを守るために立ち上がった民衆と対峠する側に立っていてよいのか。

 東京に出た彼は写真専門学校に入って写真を学び、沖縄に戻ると基地の島の現実にカメラを向け続ける。その目はやがてウチナーンチュの精神の内面へと向かい、島々をめぐって克明な祭祀の記録へと進む。彼の遺した著作の数々は、彼が単に写真家ではなく、民俗学者、否、哲学者であることを感じさせる稀有な存在であることを思わせる。
 逝ってあと知ることになるのだが、比嘉さんは死の間際まで "沖縄の精神の記録" に心魂をかたむけた。映像作家、大重潤一郎を関西から呼び寄せて久高島へ赴き、人間の魂の源郷を自らの言葉と映像で考察するのである。余命いくばくと告げられ、多年にわたる研究の成果を表現しようとした。
 写真と文章によるたしかな表現手段を持ちながら、あえて(と言っていいのかどうか)映像の力を借りたのは、残された時間を有効に使い切るためだったと私には思えてならない。
 最後の最後まで冷静、沈着であったという。告知、入院、そして最後の仕事を完  するため一時退院しての久高島への旅。その折は家族と共に自分の遺灰を葬る場所を確認しあったともいう。旅立つ身支度もしながらの仕事は、時間と体力との悲壮な闘いであったに違いない。

 それにしても、取り残された私が何よりありがたく思うのは、比嘉さんの愛した久高島の精神世界を描いた『日本人の魂の源郷・久高島』(集英社文庫)を遺してくれたことだ。去年の5月、私の近著『沖縄 近い昔の旅』のページをめくりながら那覇市内のデパートの喫茶店で写真談義を楽しんだとき、「近く集英社から文庫本を出す」と話していたその本だ。「近く」が「一年」にもなったのは、この人の誠実さと妥協を許さない完璧性ゆえだったのか。
 遺作となった『日本人の魂の源郷…』は、死の二日前に完成して病床に届いた。比嘉さんはその著作を胸にいだいて魂の源郷へと旅立った。いま比嘉さんは、彼の大事にしたニライカナイに在る。追求過程のたくさんの仕事をかかえたままの、あまりに早すぎる死であった。

 他人にやさしく、仕事にきびしかった高潔の人、比嘉康雄さん、ニライカナイは波静かでしょうか。

比嘉康雄氏の主な著作物

『神・人間・動物』(平凡社)
『神々の島 沖縄久高島の祭り』(平凡社)
『琉球弧 女たちの祭』(朝日新聞社)
『神々の古層』(全十二巻、ニライ社、電話098-867-9111)
『神々の源郷 久高島』(上・下巻、第一書房)
『日本の聖域(7)沖縄の聖なる島々』(佼正出版社)
『日本人の魂の源郷 沖縄 久高島』(集英社文庫)


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