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沖縄通信 No11

『無告の民』の喚起力〜『若夏(うりずん)に還らず』の内と外

 身も凍るような大寒波に見舞われたこの1月、東京・田端の劇団文化座のアトリエに10日間も足を運んだ。劇作家の堀江安夫が書いた『若夏に還らず』(演出・佐々木雄二)を観るためである。
 沖縄戦が熾烈をきわめた1945年4月、石垣島で3人の米兵捕虜が日本軍に殺害された「石垣島事件」が劇のテーマで、私の著書『
最後の学徒兵・BC級死刑囚田口泰正の悲劇』(講談社)を基に書かれた作品である。いわば原作者ともいうべき私が、なぜ10回も舞台を観ることになったのか。一口で言えばこの芝居のもつ<奥の深さ>と喚起力ゆえにほかならない。回を重ねるごとの新たな発見と衝撃に打ちのめされたのである。

 舞台は西暦2000年という<今>を生きる「私」(作者の堀江)が、戦後「BC級戦犯」として刑死した北海道生まれの学徒兵、田口泰正の「同行者」となってその生と死を体験する形で進行する。でも劇は単に彼らのいまわしい過去をなぞるだけではない。今日的視点であの時代を生きた者たちに立ち向かい、葛藤し、一転して時代を生きる自分たちをも撃つのである。
 一流の大学や専門学校に籍を置いたエリートたちが、「天皇の赤子」としてなぜいともやすやすと時代に順応し、学徒出陣、皇軍兵士、捕虜殺害へと突き進んでいったのか。田口が、捕虜殺害を部下に命じながら自己弁護に明け暮れる上官を責めることなく絞首台に上がったのはなぜなのか。さらに死を目前にして詠んだ「ひとすぢに世界平和を祈りつつ円寂の地へいましゆくなり」の辞世。その「きれいすぎる辞世」は果たしてお前の本音なのかと。
 劇は戦時日本の歪んだ価値観を飽かずにあぶりだす。だが、「私」が彼らを追及すればするほど、逆に<今>の日本のどうしようもなさが浮き彫りにされ、時空を超えて私たちを断罪するのである。私は作者の堀江安夫が私の拙い本をこのように読んでくれたことが、ことのほかうれしかったが、それにも増してただの一場面とて客を楽しませてくれることのないこの芝居の客席が、連日満席であったことに驚いた。なかには長野や栃木、そして遠く沖縄の宮古島から駆けつけた人もいたのである。

 今はサンシャイン・シティと名を変えた東京・東池袋の旧スガモプリズン跡地の一郭に「恒久平和を願って」と刻まれた名もなき碑が建っている。「戦犯」処刑の地である。学徒兵、田口泰正はあの戦争での最後の死刑囚として戦後5年もたった1950年4月7日に絞首刑になった。舞台がはねた日、私はその碑の前に立ち、語りかけた。
「田口泰正さん、ごめんなさい。50年も待たせてしまって。でもあなたが胸のなかに仕舞い込んだ無念と想いは、いま確実に受け継がれました…」
 だがこう言いかけて、私は虚しさがつのった。彼が我が身を代償として希い求めたこの国の<あるべき現在>は、政官の汚職、企業の腐敗、教育現場の荒廃、果てはいのちの尊厳を知らぬ若者たちの数々の振るまいなどが日常茶飯事のごとくマスコミを賑わし、国の進路は再び<戦争のできる国>へと突き進んでいる。
 劇のなかで堀江が田口に叫ばせた「沖縄は2000年の今も戦場なのか?」というその沖縄では、傍若無人の他国の兵士により若い女性が、子供たちが傷つけられ続けているのに、多くの日本人は無関心を装うままなのだ。

 その日、テレビのブラウン管には汚職と利権とスキャンダルにまみれたフィリピン政権を倒そうと、街に繰り出した民衆の姿が映し出されていた。しかし、私たちの国では永田町にも国会議事堂前にも人影はなく、政治も国際情勢もまるで他人事。これでは「寡黙な学徒兵」とて得心がいくまい。劇作家の堀江は劇中に登場させた「私」にも死刑を科したが、まさに裁かれるべきは<今>を生きる私たちなのである。

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