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沖縄通信 No17

新年のあいさつに代えて

〜アフガン「戦争」とジャーナリズムの無力〜

 飢えと寒さに苦しむアフガンの上空を、今日もまた米軍のB52爆撃機が一筋の飛行機雲を引いて飛んでいく。地上では山の尾根に次々に爆弾が炸裂している。

 昨年10月以降、何度となくテレビで見せられてきた映像だ。だが、テレビニュースに登場する「戦争」はいつの場合もここまでだ。爆弾は村にも町にも落とされ、多くの人間がむごい殺され方をしているはずなのに、私がその映像の中に死者の姿を見たのはただの一度だけだ。

 「きれいな戦争」「軍事的要塞だけを狙ったピンポイント爆撃」一。
まったくの偽りだ。プッシュ大統領は「テロへの報復」を正当化してはばからないが、これはまぎれもなく「富める国」による一方的な他民族の殺戮だ。こんなことが許されてよいはずはない。テロは個々の人間の「政治的行為」であり、その手段や被害がどうであれ「戦争」ではない。「新しい戦争」などと言う言葉にだまされてはならない。

 だが、そうは言っても今度ほど「ジャーナリズムの無力」を思ったことはない。言論とはこんなに頼りにならないものだったのか。それもそのはず、空爆下の民衆の所に行って、自らの眼で事実を見ず、隣の国からリポートしたり記事を送ったりしてお茶を濁すジャーナリズムに、いったい誰を批判できるだろう。

 いったいアメリカの軍事行動で何人の市民が犠牲になったのか、クラスター爆弾など非人道的兵器でどれだけのタリバン兵が、どのように殺戮されたのか。私たちは何も知らされていない。大量殺戮兵器の使用に対する抗議も反対の声も伝わってこない。いったいマスコミは何をしているのか。アメリカの側に立った日々の戦局報道や戦局予想などは、もううんざりだ。もっと血の通った報道をしてほしい。

 そして、かく言う私自身もそうだ。いまこそ発言することが求められるときはないはずなのに、沈黙を続けるばかりであった。弁解はしたくないが、事態の急激な進展の前に、ただおろおろするばかりであった。もっと正直に言うならば、こんどの「テロ」と「ブッシュの戦争」が起きるまで、私はアフガンのことにほとんど無関心だった。きっとオサマ・ビンラディン氏が殺害され、アメリカが報復の手をやめたら私のアフガンへの関心も弱まっていくだろう。はたしてそんな人間に<声>を発する資格はあるのだろうか。そう考えるとやはり、前へ前へとしゃしゃりでることには気が引けた。「沈黙」を続けるほうが自分に正直だと。なんとも無様なことだが…。

 この3ヶ月のあいだに私がしたことは、『週刊金曜日』の求めに応じて短いコメントをただ一回、公にしたことと、アフガンの子らを飢えから救うために、まことに小額なカンパをしたことだけである。
 しかし、私は自分がアフガン現地に飛び込み、直接支援活動ができない限り、少なくともカンパだけは続けようと心に誓った。こんど知ったことだが、アフガンではわずか2000円あれば一家10人が10日間食事できるのだという。

 それと同時に、やはり私たちは沖縄の軍事基地を廃止させることを真剣に考えねばいけない。沖縄基地が今回もまた、「アメリカの戦争」遂行上、不可欠な役割を果たしたことは明らかなのだから…。米軍基地の存在を容認するばかりか、新たな基地建設を平然として受け入れた現沖縄県政と名護市長、そしてそれを支える人々に言いたい。
「あなたたちは人の不幸と引き換えに、いったい何をこれ以上求めようというのか」
「あなたたちに<恥>というものはないのか」と。
 あの美しい瞳をしたアフガンの人々の上に、これ以上爆弾を落とす行為を支えるのはやめようではないか。

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