2月中旬から3月初めにかけて、ひとつ間違えば大惨事になりかねない「危険な出来事」が3件も相次いだ。沖縄戦で使用された米軍の不発弾の取り扱いをめぐる "事件" である。
1 2月22日午後1時50分、宜野湾市の米海兵隊普天間基地内で75ミリ砲弾の爆破処理が行なわれた。現場はフェンスを隔てて民家まで85メートル、小学校まで100メートルしか離れていない場所。しかも国(那覇防衛施設局)や地元市町村への事前通報は、わずか1時間半前。「これでは周辺住民への安全対策がとれない」と、宜野湾市が延期を申し入れたが、米軍側はこれを無視して爆破処理を強行した。
2 2月24日午前、那覇市の沖縄県庁の庁舎内で自衛隊による艦砲弾(長さ50センチ、直径約20センチ)3発の撤去作業が行なわれた。この艦砲弾は2月中旬、県庁職員が豊見城村の瀬長島沖で見つけ運び込んだもの。現場は住宅やデパート、商店などの密集する那覇市のど真ん中。撤去にあたり午前9時から約2週間にわたり半径230メートル以内の429世帯、760事務所、1200人が避難する騒ぎとなった。
3 3月4日、豊見城村内の資材置き場に、米国製の50キロの爆弾が隠してあるのが発見された。警察の調べでは、この爆弾は同村内の下水道工事現場で請け負い業者が昨年8月に発見したが、「警察に通報すると処理されるまでの間工事を中断しなければならない」ので、業者自ら「ダンプカーに乗せて現場から1キロ離れた資材置き場に撤去、隠しておいた」という。
現場は県道から150メートル、民家までわずか30メートル、近くにはゲートボール場もある所。自衛隊が3月21日撤去の予定だが、もし過って爆発すると砲弾の規模からみて、相当な被害が出ると思われる。
沖縄戦で米軍が使用した砲弾(各種曲射砲弾を含む)の数は、約480万発(米陸軍データー)。重量にして50万トンを下らないといわれる。これには日本軍側のは入っていない。生存者たちがあの戦争を指して「鉄の暴風」と言う所以だ。
防衛庁では、戦争で用いられた鉄砲弾の0.5%は不発弾とみている。この内、これまでに処理されたのは約1500トン。残る未発見の不発弾が完全に処理されるには、あと50年はかかるという。
今回、沖縄で起きた上記「3つの事件」は、いまなお不発弾と隣り合わせの生活を強いられている沖縄住民の「感覚のマヒ」と、住民の生命をかえりみない「米軍の体質」をよく表している。当事者が県庁職員や米軍、そして民間業者であることは、はたして何を物語っているのだろうか。「だいじょうぶさぁ沖縄!」などと笛を吹いている場合ではない。危険は足下にあるのだ。
そしてもう一つ-------。これは「過去の銃砲弾」ではなく、沖縄がいまも「基地の島」であることの危険性を物語るケース。
2月20日、恩納村瀬良垣(せらがき)の公民館近くの路上で、地元の小学生が米軍のライフル銃の砲弾1個を拾い役場に届けた。銃弾は長さ6センチ、直径1.3センチ。落ちていた道路は米軍の爆破訓練場や不発弾処理場へ向かう道路。近くのキャンプハンセン内では射撃訓練が日常的に行なわれているが、この弾がなぜここに落ちていたのかは分かっていない。
なお、沖縄戦の実態については『沖縄 近い昔の旅』所収の「60万発の艦砲弾」をお読み下さい。