日本中がサッカー(Wカップ)に狂奔した6月、沖縄は今年も重苦しい空気につつまれた。激しい地上戦が繰り広げられ、県民の4人に1人が死亡したあの沖縄戦を誰もが思い起こすからだが、今年の6月が沖縄の人々の気持ちをいつにも増して重くさせたのは、政府が<有事3法案>を国会に上程、日本が<戦争のできる国>に大きく変質しようとしていることと無縁ではない。
57年前の梅雨の真っ只中、人々は泥まみれになって島の最南端・喜屋武岬を目指した。5月末から6月末にかけて、この半島一帯には10万を超える女性や子どもたちが押し寄せたという。身を隠す場所もなく、頼みの自然壕からも日本兵に追われ、食べるものもなく着の身着のまま弾雨の中を逃げ回った人々-----。国内で唯一、戦場となった沖縄は<有事>の実体を身を持って体験した地域である。
6月23日、糸満の摩文仁で行なわれた県主催の戦没者追悼式。祭壇前で献花をしようとした小泉首相に対して、参列者の一人が怒りの声を浴びせた。「有事法制を作ろうとしている首相は献花するな!」
抗議したのは北中城(きたなかぐすく)村議の宮城盛光さん(54歳、無所属)。力強く突き出した手には「有事三法案 絶対反対」と書かれたうちわが握られていた。沖縄戦で身内(祖母と叔母)を亡くしたという。参列者の中からは彼の行動に対して共感と批判の声が上がったという。私は彼の勇気に心から拍手を送りたい。いまの日本では<流れに棹をさす>ことは大層勇気がいる。ましてや、慰霊祭のような「厳粛な場」ではなおさらである。
日本は間違いなく「いつか来た道」を猛進している。国会で審議中の<有事3法案に対しても国民の多くは危機感を抱こうとしない。この法案が成立すれば次にくるのは徴兵制であることは間違いないだろう。
やっかいなことに、一度この道に入り込んでしまうと、この国が健全さを取り戻すのは容易ではないことだ。結論からいえば、もう一度戦争に負け、しこたま痛い目にでもあわなければダメかもしれない。つい半世紀前にこの国の一人ひとりが体験したあの教訓。
私たちは<沖縄の6月>からもっともっと学ばなくてはならない。次に紹介するのは『沖縄 近い昔の旅』所収の私の拙文「岬への道/ヒロヒト・ハイウェイ」です。少々長くなりますがぜひご一読を。
『沖縄 近い昔の旅』 25 岬への道へ