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沖縄通信 No22

「イラク支援法」と、この国の<あした>

 2003年の6月の日々を、今年もまた沖縄に身を置いた。例年に増して気の重い日々であった。現地紙には、住宅地で発見された戦時中の砲弾(不発弾)処理に自衛隊が当っていることが報じられていた。そのたびに周辺住民が公民館などに集団避難する。こんな光景は沖縄ではもう日常的で、いまさら誰も驚かない。砲弾だけではない。半世紀も前に死んだ戦死者の遺骨さえ、いまだに山野から出てくるのだ。

 6月22日夕、宜野湾市の佐喜眞美術館で行なわれた戦死者たちの追悼コンサートに行った。ヴァイオリニストの天満敦子さんが、丸木位里、丸木俊さんが描いた「沖縄の図」の前で弦を弾いた。魂のこもった音色が肌にびんびんと伝わってきた。美術館の壁面いっぱいにひろがる絵の中の死者や生者たちの顔が動きだすのを感じた。御霊よやすらかに‥‥‥と祈りたい気持ちがもたげたが、この国のいま突き進んでいる方向がそうさせてくれない。自衛隊のイラク派兵への動きだ。小説家の目取真俊が新聞に、戦時立法に血道をあげる小泉内閣を称して「ブレーキの効かない暴走車」と書いていたが、まさにその通りだ。

 翌6月23日は<戦没者慰霊の日>。摩文仁で行なわれる追悼式典に過去2年参列していた小泉首相は、今年は欠席した。理由は「イラク復興支援法の国会審議で時間がとれないため」だといい、事実、自公保政府は6月末、わずか5日間の形式的な審議で同法案を衆議院で可決させた。この国をまたあの忌わしい<戦前>に引き戻すことに熱心な"暴走首相"が、沖縄戦の死者たちの前に立てるはずがない。いま彼らがやっていることは、死者を二度も三度も殺すばかりか、新たな死者を生み出そうとすることなのだから‥‥‥。

嫌な予感

 政府はこの秋にも1000人規模の自衛隊員をイラクに送り込む準備を進めている。そのイラクではいまも毎日のように米兵が襲撃されている。きっとその矛先は自衛隊にも向けられ、死者が出るだろう。当然のことだ。法案には「イラク復興支援特措法」と冠せられているが、派兵は誰がどう見ても「アメリカの軍事占領支援」に映るだろう。

 7月9日、小泉首相は国会答弁で「自衛隊員がイラクで死ぬこともあり得る」と口にした。そして「自衛隊員が相手を殺すこともあるだろう」とも言った。このようなことをかくも平然と言ってのける首相の魂胆は何なのか。

 私には国がその<死>を巧妙に利用すると思えてならない。きっと国は、死者を「国のために命を捧げた<軍神>」に祭り上げるだろう。時のヒロイン、つまり「英雄」にである。古くは日清戦争や日露戦争のときによく使った、あの手口だ。その死が本人や家族にとって、どんなに不条理で我慢できないものであっても、ここは「日本とアメリカのため」に耐えてもらわねばならないのだ、と。
 「復興の手助けに行った人を殺すとは許せない」
 国は、こうしたムードを高めるために演出をこらすだろう。遺族や関係者を政府のコントロール下に置き、マスコミの自由な取材も禁じ、本音隠しに血道をあげるに違いない(北朝鮮拉致家族問題と同様に)。だが、残念なことに今日のマスコミにそれに打ち勝つ主体性と良心を期待することは難しい。

 もし自衛隊の武器使用でイラク側にも死者が出たとする。そのときの状況や現場はどうだったのか。私たちは当然のことながらそれを知りたいし、知る権利がある。遺族や関係者の話も聞きたい。だがそんな取材でもしようものなら、かつて「週間金曜日」が北朝鮮のジェンキンスさん(曽我ひとみさんの夫)と横田めぐみさんの取材をしたときのように、大マスコミや一部の週刊誌、そして政府などから袋たたきに遇うかもしれない。

 こうしてナショナリズムが形成され、北朝鮮同様、イラクも日本の仮想敵国にされていくだろう。考えるのも嫌なことだが、そんな恐れを私は抱く。
 坂道を転げ落ちるこの日本という暴走車をどうやって停めるのか。私たち一人ひとりの生き方が問われている。

 6月23日に摩文仁の魂魄の塔前で開かれた反戦集会でのアピールは、そのことを私たちに問いかけている。

アピール文

 6月26日を「慰霊の日」と定めたのはなぜか。
 多くのものが、「沖縄戦終結の日」と勘違いするこの日。
 時の司令官、牛島満中将が沖縄をさらなる地獄にすることを命じ、自らは楽に逝った日。

 この日に私たちがこの地に集まるのはなぜか。
 何をするために、ここにいるのか。

 我々は、あの沖縄戦を経て、決意したはずだった。
 すべてのいくさに、いくさにつながるものを拒絶しようと。

 しかし、我々の島沖縄は、
 人殺しの島として機能し続けている。

 朝鮮、ベトナム、湾岸、そしてアフガニスタンとイラク。

 我々は、平和を願いながらも、いくさからの利益を受けることを、本気では拒絶できずにいる。頼ってすらいる。

 6月23日に、年に一度のこの日を大切に覚えつつも、我々の島が今なお殺しつつある命について真剣に覚え続けることには、あまりにも怠惰である。

 我々が今、想うべきは、沖縄戦で踏みにじられた20万余りの命か。
そうではない。その20万余の命に誓いつつも、いくたびも戦いを重ね、安らかに眠る暇(いとま)を与えない我々のだらしなさである。

 沖縄戦の犠牲者を覚え大切にするとは、慰霊祭を行なうことではない。単に行進や集会を行なうことでもない。「いかなる理由があろうとも、いくさを許してはならない」という死者たちの叫びに、まじめに耳を傾け、心に刻み、実行することである。

 鉄の暴風と呼ばれた砲弾の雨あられの中で、ガマにも入れずに逃げ惑った人々の苦しみを、二度と繰り返さないということである。

 今こそ、決断すべきときだ。
 聞き始めよう。最も身近なものたちの声を。言葉にならないうめきを。
 その声を生きざまに刻め。自らの行動とせよ。

 今日、ここに集まったことを戦争への免罪符とせず、確かな決意の場としよう。


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