1年前の県知事選挙で政府・自民党の強力なテコ入れで当選した稲嶺恵一率いる沖縄県政は、予想どおり「日本政府の代行機関」としての道を突き進んでいる。
私はあの選挙のとき、大田さんを落としたら沖縄の歴史はまちがいなく50年前に逆戻りする、と言い続けた一人だが、不幸にも予想どおり、まず県の新平和祈念資料館の展示内容改さんという形で現れた。
新資料館の開設は、'95年に完成した<平和の礎>と並んで、沖縄が21世紀に向けて世界に平和の道を指し示す貴重な事業であった。ところが稲嶺知事ら県三役は、今年の3月以来、密かに展示物の大幅な手直しを部下に指示、沖縄戦の“実相隠し”を画策していた。
展示パネルの文言にあった「虐殺」を「犠牲」に変え、日本兵による避難壕からの住民追い出しや虐殺住民の実態は削除。あげくの果ては「住民に自決を強要する日本兵」の復元模型で兵士が手にしていた銃を取り除くなど、改ざん箇所は数十項目に及んだ。こうしたもくろみで一貫しているのは、日本軍の残虐性をことごとく薄めることであった。
資料館の展示物は、県の委託した監修委員会メンバーの入念な検討を経て決まっていたが、こともあろうに稲嶺知事は、この間ただの一度として委員会を開かず、彼らに隠れて改ざんを進めていた。しかも8月になって新聞でこのことが暴露された後も、当の知事は[知らない」「指示していない」と、自らの関与を否定。最後までシラを切りつづけた(この間の動きについては、8月11日以降の琉球新報、沖縄タイムスをぜひ読んでほしい。一連の両紙の報道は圧巻であった)。
稲嶺知事はなぜ“歴史の抹殺”を手掛けたのか。これはにはもう一つの目的がある。基地政策を進めていくうえで<沖縄戦>がどうしても邪魔だったのである。沖縄を“安保の要”と位置づけ、「軍事力による防衛」を図るために、県民の記憶の中から「自国民に銃口を向けた沖縄戦の実相」をどうしても取り除かねばならなかったのだ。
改ざん問題は、幸いにも県民の猛反発により、知事の全面敗北という形で一応の決着をみたが、さりとて<稲嶺戦争史観>が変わったわけではない。密室行政もそのままだ。知事は来年沖縄で開かれるサミット(主要国首脳会議)で「沖縄から平和のメッセージを発したい」というが、いったい何をアピールしようというのか。考えるだけで恐ろしさを感じる。
<戦争の世紀>といわれる20世紀の終焉を前に、私たちは<戦争のない21世紀の青写真〉を次代に手渡す作業をしなければならない。そんな時に<歴史の記憶>を抹殺し、軍拡を至上命題とするような指導者は不要だ。
*写真は糸満市の平和祈念公園近くにあった立て看板
*沖縄・近い昔の旅から【データーが語る虐殺の実態】
*沖縄・近い昔の旅から【現在の平和祈念資料館の紹介】