海を失った老人たち|
◆哀しい "長寿の島" 沖縄、とりわけ八重山諸島の老人たちは、よく「日本一の幸せもの」といわれる。私もずっと以前からそう思っていた。何よりも豊かな自然環境に恵まれている。七色に輝くサンゴ礁の海と宇宙の果てまで見通せるような青い空。親子3代が一つ屋根の下で暮らす賑やかな大家族。そして、いまも地域に根をおろす村落共同体、つまり扶けあい社会−。 こうした環境は南島特有の食生活もあいまって長生きするには至れり尽せりだ。現に八重山諸島は昔から日本でも有数の "長寿の島" で知られる。西表島など八つの有人島からなる竹富町の場合、65歳以上の高齢者が人口に占める割合は25.94パーセント(以下、数値はいずれも1999年10月現在)と、沖縄の中でも抜きん出ている。 朝に夕に海を眺め、波や風と心を通わせながら揺蕩(たゆた)う時の流れに身をゆだねる日々。死ぬ時は自分の島。町の火葬場などで焼かれるのはまっぴら。生まれ島の土になって子や孫たちといつまでもつながっていたい…と話す島のおじいやおばあたち。 だが、そんな老人たちが島を離れ、のども渇きそうな市街地で余生を送るケースが増えている。哀しみを押し隠しながら、やがて訪れてくる死をじっと待っているのである。 ◆若年化する入園者 〜略〜「家族のつながりが弱くなったのかなぁ。最近は、年寄りは施設に入るのは当然といった考えが、家庭にも地域にも増えてきた」。八重山厚生園で22年間も老人の介護に当たってきた照屋洋美さん(46歳)はこう話す。「あるお年寄りが村の売店に買い物に行ったら言われたというんです。施設に入りなさいと。家に年寄りがいるのはごく自然なことという考え方が地域社会の中にも少なくなってきたように見えます。疎外感を抱いた老人が自分の意志でホームに来ることもあります。昔は老人ホームに行くぐらいならネコイラズでも飲んで死んだほうがよい、と言ったものですが…」。看護婦の下地由美子さん(45歳)の見方も同じだ。「沖縄が年寄りの天国といわれたのは過去の話。家族関係や人間関係はまちがいなく変化しつつある」。 〜略〜 ◆迎え待つ御霊たち 〜略〜 沖縄県がこの春、波照間島で行った高齢者を中心とした住民の意識調査では、「人生の最期を自分の島で迎えたい」と願っている者は70パーセントなのに、現実はこうした願いから遠のくばかりである。若者の流出が続く離島で介護を要する老人が住み続けるためにはどうすればよいのか。高齢化率が37.7パーセントにも上る波照間島の人たちが指し示したこの事実は決して軽くないはずだ。 〜略〜 ◆戦渦を生きた人々 そしてもう一つは沖縄戦の影響である。本来なら現在70歳以上になっているはずの世代の多くが、住民の4人に1人が犠牲になったと言われるあの地上戦で命を落とした。戦争末期、沖縄では17歳から45歳までの男性は防衛隊員として動員され、その半数以上が犠牲になった。現在75歳以上の男性人口が際立って少ないことがそれを裏付けている。 島の老人ホームの住居者がかいまみせる静かなる怨嗟(えんさ)…。それのみで「地域社会の心の移ろい」を語るには無理があるかもしれない。しかし、孤島の人たちの "終の宿(ついのすみか)" となった老人ホームの実像が、高齢化社会の人間関係の先々を映し出していることもまた事実なのである。与那国生まれの仲嶺仁吉おじいが、腹の底から絞り出すような声で言った。「うちがこうして唄を歌うのは、自分の心を安心させるためだよ。歌っていると気持ちが慰められるんだ」。途切れ途切れ発せられる言葉に秘められた絶望感−−−。そして仁吉おじいは、今度は生まれ島の民謡『与那国の猫小(マヤーグワー)』を歌い出した。寮母の照屋洋美さんがおじいの肩を引き寄せ、耳元に口を近づけて話しかける。「真夜中も昼間も関係なく歌うんだよねぇ。歌っている時が一番しあわせなんだよね」。すると、耳の遠いおじいは満足そうな照れ笑いを見せた。「全盲」の仁吉おじいの見つめる先には、いったいどのような風景が広がっていたのであろうか。 |