旅日記8/28-2


8月28日その2


彼のお陰で落陽橋を渡れた

 祈願祭が終わるとバスで「落陽橋」へ向かった。宗代につくられた,中国橋梁史の傑作といわれたその橋で,私は映画「ローマの休日」のような体験をした。
 とてもじゃないけど,出発までの時間内に行って見て帰ってこれる距離ではないな,と思いつつ,橋を渡った彼方側にどんな村があるのか見たくなり走りはじめる。間に合わないと思ったら途中で引き返せばいい。走り出して100メートルもいかないうちに,後ろから来た,オートバイの少年に声をかけられた。最初何を言っているのかわからなかったが,その身振りから,後ろに乗るか?あそこまで送るよ,ということがわかった。
 渡りに船,橋にオートバイ!私はさっそく後ろに飛び乗り,少年はバイクを走らせた。橋の袂について右に折れると,洗濯場があった。4,5人の女性たちが洗濯をしたり髪を洗ったりしている。私が写真を撮っていることに気づき,少年はゆっくりとオートバイを走らせてくれたが,舗装されていない道なので上下に大きく揺れた。それでも,こちら側にこれた幸運に感謝しつつ,村の散策を楽しんだ。とても短い間だったが,ローマの休日の一コマのような体験だった。
 
 バイクから降りる時,思いっ切り笑顔で「謝謝!」と少年に言った。同時に,じっ,という音と共に,左のふくらはぎに凍るような痛みを感じた。バイクのエンジン部分に触れて火傷をしてしまった。そんなバカな〜と思ったが,痛みは増すばかり。ドクターに事情を説明し応急処置をしてもらった。(*火傷の治療をしてもらったのは,後にも先にも私だけだった)

 後日談:写し終わったフィルムを沖縄に帰るメンバーに託した。焼き上がってきた写真を見てびっくりしたのは家族だ。私の足に包帯が巻かれている。火傷の傷は残ったが,歩きに支障はなかった。あらぬ心配を家族にかけてしまった。

 恵安石彫厰を見学しに行く途中の雑貨店で,「兌換券」を出したら,見たことがない,と言って突っ返された団員がいた。「兌換券」は外国人観光客専用のお金で,外貨はみな「兌換券」に両替される。(*1995年1月から人民元に統一された)

 午後4時すぎ,今度は九日山延福寺で「祈風祭」をしてもらう。村の入口から寺までの数百メートルの沿道は村人で埋まり,中国楽器での賑やかな演奏に迎えられた。沖縄の三腺(サンシン)によく似た楽器が目をひいた。境内につくられた舞台で数々の民族芸能が披露され,団員はもちろんだが,村人も一緒に楽しんだ。周辺の家の屋根を見ると,子供だけでなく,大人もたくさん登ってこちらを見ている。お堂で香を焚き,安全を祈願した後,団全員で九日山に登った。風が爽やかだった。

 夜,初めての交流会が開かれた。会場の泉州影劇院には千名の観客が集まり,中国側は8つの演目で私たちを楽しませてくれた。
 沖縄側は,八重山の民謡,琉舞(四つ竹),空手,棒術,エイサーを披露し,フィナーレは全員でカチャシーを踊る。三線の早弾にのり,中国の人達も次々に踊り出す。踊りの渦の中で思わず「ヤッタ!」と叫んでしまった。

 部屋に帰って一人になった時,紅型を羽織ってもう一度踊ってみた。知り合いが貸してくれた大事な衣装だ。花笠も借りてきたものだ。私の夢を叶えてくれた衣装達を手入れし,衣装箱へしまう。今夜の交流会は,Mさんにも見せたかったな。

 火傷したふくらはぎの手当てをして 一日が終わった。 

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