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遣唐使文庫へ込めた想い

私は中国を2度徒歩で旅した。最初の旅は1992年の『中国大陸3000キロ踏査行』だ。ほんの百年ほど前まで、琉球と中国が進貢貿易に使っていた道を体現するために歩いた。
中国の人々と大地に励まされ、徒歩での旅を無事に終えた私は、琉球の先人たちや私たちが受けた中国からの恩を何かのかたちでお返したいと思った。あれから3年。その「想い」が「遣唐使文庫」になった。


琉球人の墓(江蘇省淮陰市) 図書館に来ていた子供達
琉球人のお墓(淮陰市図書館の敷地内にある)の前に立った時、私は体が震えたのを今でも覚えている。志半ばで倒れた琉球の先人が沢山いたことは知識としてもっていた。想像もできた。でも、本当にその人達の眠っているお墓を前に、私は魂が揺さぶられた。何を夢見て、この中国へ来たのだろうか、さぞかし無念だったろうな、と私の心にさまざまな思いがわいてきた。その地下から、その墓標から眠っていた魂がダイレクトに私の体に入ってきたような強い衝撃をうけた。あれは何だったかよくわからない。
このお墓を大切にしてくれている中国の人に、何かお礼ができないものか、と考えた。
中国から帰国後、「歩いて見た国・中国」と題して各地で講演をしていた私に、1995年『平成の遣唐使 』隊員の話が舞い込んだ。
「平成の遣唐使」として、2度目の中国大陸徒歩旅行への切符を手に入れた私は、この旅のスポンサーである通信販売の会社フェリシモに「遣唐使文庫」の提案をし、調査をすることになった。 調査は、歩くことを中心にした日程の合間をぬってのもので、ハードだったが、18の学校や図書館に文庫を設置する話をまとめることができた。
私は、遣唐使の旅の交流会で、子供達を前にして、「またあなたに会いに来ます。本と友人と一緒に来たいと思います」と言った。それから約4ヵ月後の1995年10月に、配本の旅が実現した。10校の学校を訪問し本を贈った。訪問できなかった残り8ヵ所の学校や図書館にも、1996年1月までに、中国の仲間が本を届けてくれた。子供達との約束を果たし、ホッとした。

中国で日本語を学んでいる子供たちにとって、日本語の本は今、一番ほしいものひとつだ。冊数は少ないが、ぜひ活用してほしいと思う。
農村部の学校では、本がまったく無いという学校もあり、中国語の本を中国で購入して贈ることにした。中国にも、近い将来、誰でもどこでも本が買えるという時代が来ると思う。しかし、子供たちが、今、知りたい!といっている好奇心や向上心は、待ってくれない。私は、子供たちの「今」を大切にしてあげたい。
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この活動は、中国の子供たちのためだとか、日中友好のためにとか、そんなことではじめたものではない(自然にそういうことに繋がれば最高だけど!)。この活動は、中国が、私に与えてくれたことに対しての恩返しであって、自分の為にしているというのが正しい。それだから心から楽しめ、疲れないのだと思う。
私は、この活動を通して多くの優れた人々に出会い、かけがえのない体験をさせていただいた。やりたかったことができた喜び、夢を叶えることができた幸せ、これは、そうできるように支えてくれた沢山の人々のお陰である。感謝しても感謝しきれない。この場でもう一度、お礼を述べたいと思う。ほんとうにみなさん、ありがとうございました。
遣唐使文庫を支えてくれたすべての人に、感謝を込めて
1996.2.28 新川美千代