★DENVERうさぎ通信WWW版

会場になったデンバー図書館
「コロラドは最近西部で、最も経済成長の著しい州であリ、クリントン大統領自身、これからは東だけでなく西の時代でもある、として、今回のデンバーにおけるサミットを強く希望していました!」と、6月19日、デンバー国際空港にクリントン一行が降りたった時のTV生中継で、アナウンサーが語っていた。飛行機から出て手を振るクリントンは、にこやかにしてはいるものの、「何か、急に老けこんでしまったみたい…、疲れてるのかな」というのが私の印象だった。
サミット前日(6/19)に、私は、日本人一行の陣取っているホテルハイアットのロビーの日米協会によるインフォメーションブースで,デンバーに不慣れな人の為に役立つような情報を並べ、質問にお答えする、という仕事をした。ブースには3人居り、仕事自体はそんなに大変ではなかったが、報道陣、主要人たちの行き来するロビーに居合わせるだけで、背中がシャキッとしてしまうような緊張感があった。
この日の一番の盛り上がりは、橋本首相の一行がホテルに出入りした時だった。橋本首相の登場と共に周りの空気が何となく変わり、ロビーはざわつき皆入口付近につめ寄る。しかし、最初の登場では、首相を取り囲む一行も首相自身も皆同じような黒い背広で、「えー、どの人が橋本首相?」と思っているうちにホールの奥に姿を消してしまった。ボランティア仲間も、カメラ構えてたのに、撮れなかった〜、と言っていた。2度めの登場の時は、私も、え〜い、今度こそ、とすっかりミーハーになって早めに入口付近に立ち、カメラを構えた。今度ははっきり分かった。よし、シャッターチャンスを狙おう!と思ってずっとファインダーをのぞき、首相が私の真ん前に来た時にシャッターを押した。…でも、後で冷静になって、「肉眼で見た、というより、ほとんどファインダーを通して見ていたから、結局ブラウン管を通して見るのと大差ないんじゃないかい?」と思ってしまった。
私たちのミーハー振りはまだ続く。「ブラウンパレスにクリントン大統領がもうすぐ帰ってくる」という情報が入り、またボランティア仲間とホテル前に繰り出す。しかし一時間待っても来ない。私の前に居た子供達とそのお母さん、おばあさんの総勢10名ほどのグループはもう5時間も待っているという。報道カメラがその子ども達にインタビューをしていた。「クリントンを見るためだけに何時間もかけて皆ではるばる来たんだよ〜〜!」とカメラに向かって大声で叫んでいた。
アメリカ陣ホテルの前の道は閉鎖され、警備も堅かったが、それに比べ、日本陣ホテルや他の国陣ホテル前は、ほぼ普段と変わらない。この差は何なんだろう、と首をひねっていたら、「米国の大統領は狙われ易いけど、日本は危険が少いからだよ、きっと。日本陣だって他の国だって要請すればデンバー警察はもっとホテル前のガードを堅めたと思うよ」とアメリカ人の友達が言っていた。
ボランティアを交替して、迎えに来てくれた友達とホテルを出ると、ブラウンパレスの前はまだ人だかりがしている。そこで、私たちは懲りもせずまた繰り出して行った。前より人が増え、前より警備が堅くなっていた。にもかかわらず、さらに一時間待ってもクリントン大統領は現れない。こんなに待っても、別にホテルの前で演説する訳じゃなし、ただ「入る」のを見るだけなんだよな〜、と思いつつ、「ねえねえ、どうしても見たい??」「う〜ん、いや…、も〜帰ろ〜。」と、最後は疲れと諦めで妙に冷めてしまった。(後で聞いた話によると、大統領はホテルの真ん前に車を止め、手も振らずにさっさと中に入ってしまった、とのこと。あの人だかりと警備は一体何だったの〜?)
ところが、翌日その穴埋めをするかのように、大統領の感謝演説に招待され、サミット最終日に、ダウンタウンの大ホールに行く機会を得た。もちろん一緒にホテル前でねばった友達も誘ったが、一時半からの予定が、入口での一人一人のセキュリティーチェックに時間がかかったため、始まりが大幅に遅れた。さらに、中に入ってから、歓迎のためのバント演奏が一時間ほどあった。音楽自体はよかったのだが、既に私達は、満員電車なみの混雑の中で延々と待っていたので、「まだ〜〜??」と皆で顔を見合わせていた。バンド演奏の後も、R.E.Mの曲などがかかり「何かコンサートの始まりを待っているみたい…」と、痛くなってきた足で立ったり座ったりしていた。「HOW MUCH LONGER~~??(どれくらい待たなきゃいけないの〜?)」と叫びだす人も出てきた。
4時近くになって、曲が厳かなものに変わった途端、群衆が騒ぎだし、遂に、やっとクリントン大統領、ヒラリー、デンバー市長達が壇上に現れた。すると、私は足の痛みも忘れ、すぐ近くに居る、大統領夫妻にまたカメラを構え始めた。デンバー市長の歓迎挨拶の後、まずは、ヒラリーが壇上に立つ。
「皆さん、ボランティアの方々のおかげでサミットも無事終了しました。本当にありがとう!」とお礼のあと、「私の夫を紹介する、ということに、最近やっと慣れてきました。では次は、私の夫、クリントン大統領です!」と、力強い堂々たるヒラリーの紹介に乗って壇上に現れた大統領は、初日に私が感じた延長で、何だか覇気がなかった。にこやかに穏やかに、堂々とは見えたが、パワーの面では、ヒラリーに圧倒されていた。演説後、大統領達が壇上から降りてきて、前の列の人々と握手を交わしていた。私も2メートル位の距離にいたので、手を延ばしたが、群衆に押され、惜しくも握手は出来なかった。私達の、ホールを出てからの話題は、「やっぱ、ヒラリーはスゴイね。」「ハクリョク〜!ただもんじゃないよ。」「う〜ん!彼女はオーラが違うよ!」etc. etc.
ところで、この先進国首脳会議の迫力に圧倒されてはいたが、実は時を同じくして、民間団体による民間人のためのエコノミック平和サミット(Peoples' Summit; The Other Economic Summit)が、コロラド州立大学デンバー校舎で開かれていたのである。これは、世界の先住民族問題、環境問題、核廃止論争などに焦点を充てた、マスコミには取り上げられにくい、話題にされにくいサミットではあった。しかし、これからは目を反らすことのできない問題でもある。3日間、朝から晩まで、各教室で、様々なテーマのレクチャー、パネルディスカッション、キャンペーンが繰り広げられていた。主催者は、宣伝したのに、人があまり集まらない、と嘆いていたようだが、私も当日まで全く知らなかった。重要だが、地味なテーマであるだけに、今後のPRの方法の見直しが必要になるだろう。
私は、2日目の、南米先住民族運動家達のレクチャーに行った。「私達は、私達の民族の自治権のために活動していますが、居留地が欲しいのではありません。本当は居留地ではなく、人種間がお互いに同等に、尊重し合えるための制度やルールが必要なのです!」と、メキシコの女性運動家マルガリータが主張していたことが、まさに先住民族運動の、ひいてはあらゆる民族運動の集約であろう。
陰陽サミットを渡り歩いた3日間、G8はどちらかというと「お祭り」ムードだが、民間サミットは切実だった。この大きなギャップはどうしたら埋まるのだろう、また、埋まる日は来るのだろうか。
(1997.6 かめ)
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